ク、あなたが中国辺の女学校で、体操の先生をしているとの話を聞きました。同時に、内田さんが有名なスポオツマンの某氏と、恋愛《れんあい》結婚をしたとの話を聞きました。
そのときの衝動《しょうどう》は強く、帰ってから直ぐ書きかけの原稿紙を全部、破ってしまいました。こんな興奮するようでは、未《ま》だとても書けないと諦《あきら》めたからです。
次の年、徴兵《ちょうへい》検査で、本籍《ほんせき》のある高知県に帰ったとき、特殊《とくしゅ》飲食店を開いている伯父《おじ》さんから商売|柄《がら》の廃娼《はいしょう》反対演説を聞いたあと、こっちも一杯|機嫌《きげん》で、あなたの話をほのめかすと、伯父さんは、「熊本秋子さんなら直ぐ、隣町《となりまち》の床屋の娘《むすめ》さんじゃきに、伯父さんもよう知っとるし、本当におまはんがその気なら、じき話を決めるがのうし」と大乗気になられ、却《かえ》って此方《こちら》が辟易《へきえき》しました。
それよりも去年の暮、出征《しゅっせい》していた頃、北京《ペキン》郊外《こうがい》豊台駅前のカフェに入った処が、高知県出身の女給さんばかりが多くいて、あなたの噂《うわさ》が、偶然オリムピックの話から出たのには驚きました。あなたと同じ女学校で三年下だったという其処《そこ》のある女給さんは、なかなか色白|細面《はそおもて》の美人でしたが、あなたのことを「とてもすらりとした可愛《かわい》いお方でしたわ」とお世辞を言っていました。
そうして、ぼく達のグルウプの人々は――。
帰朝して間もなくインタアカレッジで漕《こ》がされたエキジビジョンの風景を想い出します。
真紅《しんく》のオォルに真紅のシャツ。みんな出立《いでた》ちは甲斐々々《かいがい》しく、ラウドスピイカアも、「これより、オリムピック・クルウの独漕《どくそう》があります」と華々《はなばな》しく放送してくれたのでしたが、橄欖《かんらん》の翠《みど》りしたたるオリムピアがすでに昔《むかし》に過ぎ去ってしまった証拠《しょうこ》には、みんなの面に、身体に、帰ってからの遊蕩《ゆうとう》、不節制のあとが歴々と刻まれ、曇《くも》り空、どんより濁《にご》った隅田川《すみだがわ》を、艇《てい》は揺《ゆ》れるしオォルは揃わぬし、外から見た目には綺麗《きれい》でも、ぼくには早や、落莫《らくばく》蕭条《しょうじょう》の秋となったものが感ぜられました。
そうして二三年|経《た》ってから。
『若き君の多幸を祈る』と啄木歌集の余白に書いてくれた美少年上原が、女に身を持ち崩《くず》し、下関の旅館で自殺をしたときいた。銀座ボオイの綽名《あだな》があった村川が、お妾《めかけ》上がりのダンサアと心中して一人だけ生残ったとの噂もきいた。
沢村さんは満洲《まんしゅう》へ、松山さんはジャワヘ、森さんは北支《ほくし》、七番の坂本さんはアラスカヘと皆どこかへ行ってしまった。
東海さんは昨年、戦地で逢いました。補欠《サブ》の佐藤は戦死したと聞きました。
戦地で、覚悟《かくご》を決めた月光も明るい晩のこと、ふっと、あなたへ手紙を書きましたが、やはり返事は来ませんでした。
あなたは、いったい、ぼくが好きだったのでしょうか。
底本:「オリンポスの果実」新潮文庫、新潮社
1951(昭和26)年9月30日発行
1991(平成3)年11月30日52刷改版
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:大野晋
校正:伊藤時也
2000年2月7日公開
2001年1月4日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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