ろい》のかわりに、健康がぷんぷん匂《にお》う清潔さで、あなたはぼくを惹《ひ》きつけた。あなたの言葉は田舎《いなか》の女学生丸出しだし、髪《かみ》はまるで、老嬢《ろうじょう》のような、ひっつめでしたが、それさえ、なにか微笑《ほほえ》ましい魅力でした。
 あなたは、薄紫《うすむらさき》の浴衣《ゆかた》に、黄色い三尺をふッさりと結んでいた。そして、「ボオトはきれいねエ」と言いながら、袖《そで》をひるがえして漕《こ》ぐ真似《まね》をした。ぼくは別れるとき、「お名前は」とか、「なにをやって居られるんですか」とか、訊《き》きました。そしたら、あなたは、「うち、いややわ」と急に、袂《たもと》で、顔をかくし、笑い声をたてて、バタバタ駆けて行ってしまった。お友達のなかでいちばん背の高いあなたが、子供のように跳《は》ねてゆくところを、ぼくは、拍子抜《ひょうしぬ》けしたように、ぽかんと眺めていたのです。その癖《くせ》、心のなかには、潮《うしお》のように、温かいなにかが、ふツふツと沸《わ》き、荒《あ》れ狂《くる》ってくるのでした。
 船室に帰ってから、ぼくは大急ぎで、選手|名簿《めいぼ》を引き出し、女子選手の処《ところ》を、探してみました。すると、あなたの顔ではありますが、全然、さっきの魅力を失った、ただの田舎女学生の、薄汚《うすぎたな》く取り澄ました、肖像《しょうぞう》が発見されました。そこに (熊本秋子、二十歳、K県出身、N体専に在学中種目ハイ・ジャムプ記録一|米《メエトル》五七)と出ているのを、何度も読みかえしました。なかでも、高知県出身とある偶然さが、嬉《うれ》しかった。ぼくも高知県――といっても、本籍《ほんせき》があるだけで、行ったことはなかったのですが、それでも、この次、お逢いしたときの、話のきっかけが出来たと、ぼくには嬉しかった。

     五

 翌朝から、ぼくは、あなたを、先輩達に言わせれば、まるで犬の様につけまわし出しました。船の頂辺のボオト・デッキから、船底のCデッキまで、ぼくは閑《ひま》さえあると、くるくる廻り歩き、あなたの姿を追って、一目遠くからでも見れば、満足だったのです。
 その晩、B甲板の船室の蔭《かげ》で、あなたが手摺《てすり》に凭《もた》れかかって、海を見ているところを、みつけました。腕《うで》をくんで背中をまるめている、あなたの緑色のスエタアのうえに
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