かにもこそばゆいという風に身悶《みもだ》えしてキャッキャッと笑い興じていました。汗《あせ》ばんで転がるたびに砂|塗《まみ》れになってゆく、上原の肉体も、額に髪が絡《から》みついた顔も、だんだん紅潮してゆくに従って、筋肉の線に、膨《ふく》らみもでて来て美しく、ぼく達でさえ些《いささ》か色情的に悩《なや》ましさを覚えたほどです。しかし何時迄《いつまで》もみているのは莫迦々々《ばかばか》しくなって、ぼくと柴山はその場をはずし、なんとなくそこらを散歩してから歩いて帰りました。
 遅《おそ》く夕方になってから戻《もど》ってきた上原が、その大学生の着ていたレザァコオトを貰ったりしているので、ぼくは人間の愛欲の複雑さがちらっと判《わか》った気がしました。

 帰朝する前日でしたか、ロオタリイ倶楽部《クラブ》での、鐘《ベル》ばかり鳴らしてはその度《たび》に立ったり坐《すわ》ったりする学者ばかりのしかつめらしい招待会から帰ってくると、在留|邦人《ほうじん》の歓送会が、夕方から都ホテルであるとのことで、出迎《でむか》えの自動車も来ていて、直《す》ぐとんで行ったのでした。
 男はタキシイド、女は紋服《もんぷく》かイブニング・ドレスといった豪奢《ごうしゃ》な宴会《えんかい》で、カルホルニア一流の邦人名士の御接待でした。ぼくの坐った卓子《テエブル》は、沢村、松山、虎さんとぼくの四人で、接待して下さる邦人のほうは、立派な御主人夫妻と上品なお祖母様《ばあさま》、それに二十一になる美しいお嬢さんの御一家でした。
 話をしているうちに偶然《ぐうぜん》、そのお嬢さんがぼくの育った鎌倉《かまくら》の稲村《いなむら》ケ崎《さき》につい昨年|迄《まで》、おられたことが解《わか》り、二人の間に、七里ケ浜や極楽寺《ごくらくじ》辺《あた》りの景色や土地の人の噂《うわさ》などがはずみ、ぼくは浮々《うきうき》と愉《たの》しかったのです。その内に始まった饗応《きょうおう》の演芸が、いかにも亜米利加三界まで流れてきたという感じの浪花節《なにわぶし》で、虎髭《とらひげ》を生《はや》した語り手が苦しそうに見えるまで面を歪《ゆが》めて水戸黄門様の声を絞《しぼ》りだすのに、御祖母様は顔を顰《しか》め、「妾《わたし》はどうしても、浪花節は煩《うる》さいばかりで嫌《きら》いですよ」といわれる。お嬢さんとの会話で気が浮立っていたぼくは
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