の病気は現在でも病源が判らず不治とされている。患者は一進一退の後、こうして植物の如く生きながら次第に、頭の先から立ち枯れてゆくのだ。
 ぼくは自分の死者との実感から、この病者に惹きつけられる愛情と反撥する憎悪を同時に感ずる。彼らこそ、その病気に自然に移行しながら、いつの間にか人生に、「さようなら」していて、病人となってからは、いつ死んでも同じなのだ。彼らは精神病院の一室で誰の邪魔もせず、邪魔にもされず、呼吸して食事し眠って起き、その中ひとに知られずふいと死ぬ。ぼくはそんな彼らを堪らぬと嫌いながらも、既に死んでいる点で共感し憧がれてもいるのだ。彼らでさえ、現実にはっきり、「さようなら」をいうのを拒否しているのが小気味よくもあるのだ。自分では不合理、非論理と思うが、ぼくは自分を使者と信じながらも、実は未だ生の世界に「さようなら」をいいたくない。ぼくは今でもふいと耳に、ボレロの如き明るく野蛮な生命のリズムが鳴り響き、晴れて澄んだ初秋の午後、アカシアの花が白く咲き芳しく匂う河岸、青い川面に白いボオトを浮べ、自分の心や身体を吸いよせ、飽和した満足感で揺り動かし、忘我の陶酔に導いてくれる、そのひとを前にし、軽くオオルを動かしている幻想のよみがえる時がある。例の神を涜した為、未来|永劫《えいごう》にわたり幽霊船の船長として憩いの許されぬ“さまよえる和蘭人[#「さまよえる和蘭人」に《フライング・ダッジマン》のルビ]”でさえ、女性の無償の愛が得られれば許されるという中世紀伝説があるのだ。だから中世紀敗戦日本の安っぽい、勝手に死者を気取ったぼくが未だに、こうした伝説に憑かれ、またの日、もう一度、そうした日があり得ることを秘かに信じ、その時に自分の復活があると、待望するのも可笑しくないだろう。
(ではその日まで、さようなら。ぼくはどこかに必ず生きています。どんなに生きるということが、辛く遣切れぬ至難な事業であろうとも――。)
[#30字下げ](一九四九年一一月)



底本:「別れのとき アンソロジー 人間の情景7」文春文庫、文藝春秋
   1993(平成5)年3月10日第1刷発行
底本の親本:「現代短篇名作選2」講談社文庫、講談社
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:寺澤昌子
校正:伊藤時也
2000年3月16日公開
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全12ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
田中 英光 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング