妻に選んでしまった。ぼくの結婚後、この小柄なタイピストは自棄になったようで、二、三の大学生に肉体を許したのち、ふいと満州国の騎兵大尉とかに嫁ぐ為、会社を止め大陸に渡っていったが、ぼくは彼女のエゴチズムに満ちた小鼻を張り、眼を光らせた表情に男性本能としての嫌悪まで感じていたので、(男友達の場合はお互いの自我を意識してぶつけまいとするのでそんな嫌悪はないが)そうした彼女との「さようなら」には反って開放感が伴っていた。
 もうひとりの女友達は酒場の女給で、今でも高名な画家の夫が同じく高名な女流画家と恋し合った為、棄てられた妻であり、脊椎カリエスの七つの弱い男の子を抱え、その酒場の二階に寝泊まりしている惨めさだったが、ぼくはそのひとを妻にした娘より遙かに好きだった。子猫みたいにイタズラっぽく精力的なその顔は一面の雀斑《そばかす》で、化粧も棒紅が唇の外にはみだすほどグイとひく乱暴さだったが、外見ひ弱そうな肉体が裸になると撓やかで逞ましいのも好きだったし、常に濡れているような睫《まつげ》の長い黒瞳に情熱が溢れているのにも惹かれていた。それに一度、共産主義を棄てた自分を罪人のように恥かしがっていたぼくは、そのひとが棄てられた妻という傷を持っていて、その傷を正直に痛そうに見せ、ぼくに撫ぜて貰いたがっている風情にも、哀しく懐かしい共感が持てた。そのひとは娼婦と母性の本能を合せて持っているという点で、ぼくには憧がれの女性のように思われたのだ。ぼくはそのひととピクニックに出かける電車の席で無造作に足を組んだら、靴下を穿いていないのがバレ、前のタイピストならそれに顔をしかめ、妻にした娘なら見て見ないふりをするのに決まっているのが、そのひとは忽まち無邪気に大笑いし、次の停車場でぼくの手を引張るようにして降り、近くの洋品店で、濃紺のソックスを買い、その場で子供にするように穿かせてくれた思い出も、イヤになるほど懐かしい。
 ぼくはそのひとが娼婦じみた悪趣味の厚化粧をして、大きな花束を買い、バスの衆人環視の中で、その花束に顔をつっこみ、「まあ好い匂い」と童女のような泣き声をあげたのも忘れられぬ。ぼくは当時、女性の生理のどうにもならぬ不潔さにそろそろ気づいていたので、そのひとがひたむきに花を愛する心理のあやも直感的に分る気がし、美しく思われるまでに哀しかった。更にそのひとと晴れた日、白いアカシアの花
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