れに堪え或いはそれを喜び、それを拒絶した岡田に惨忍なリンチを加える分隊長たち、更にそれを面白がって眺めていくぼくたちの中、誰が真の狂気であろうか。ぼくは戦争という狂気に堪えられなかった岡田の神経に、今ではむしろ健康なものを感じるのだ。
処で自分の功績だけを気にする分隊長は、岡田が剣も銃も棄て、乞食みたいな格好でヒョロヒョロと歩いているのをみると、そんな兵隊を上官にみられたら、叱りつけられた上、点数も薄くなると、カッと上気した様子で、忽まち走り戻り、銃を逆手に持ち直し、「このド阿呆が。くたばれッ」と岡田の左耳から頬にかけ、力一杯、横なぐりした。岡田は口と鼻を血だらけにし、キリキリ舞いで、道路の真中の泥濘《ぬかるみ》に大の字に倒れた。「お母さん、さようなら」岡田は虫の鳴くようにそう呟き、そのままピクリとも動かなくなる。赤紫に膨脹した左耳に毒々しい銀蠅が群がってたかりだした。ぼくたちはそのまま岡田の死体を見棄て、行軍を続ける。その時、ぼくたちは後衛中隊の最後尾の分隊だったから、岡田の死体は中国人たちが埋めてくれぬ限り、道端で腐り、野良犬や鴉《からす》、蛆《うじ》などに食われていったことであろう。ぼくは暫く行ってから振返り、岡田の死体が仰向けに倒れているのを確かめ、心の中で岡田の霊にあっさり、「さようなら」をいった。
約二カ月の野戦生活の間に、ぼくはこのように非情な「さようなら」を幾多の戦友たちに告げてきたものだが、帰還して、軍需工場に勤め太平洋戦争となり、それが日本の敗色濃く、しきりに東京空襲が行なわれるようになると、ぼくは銃後にいても多くの周囲の同胞に、このように非情な、「さようなら」を告げる機会が多くなった。その人たちの中には例えば、自分の工場の女子寮が爆弾の直撃を受け、三浦三崎から勤労動員で来たばかりの、三十人もの無垢な娘たちが、同期に入社したぼくの友人の童貞の舎監と共に即死したようなむごたらしい思い出もある。而しこうした際にも、止むを得ぬ運命主義者になっていたぼくは、(それを彼らの宿命とのみ感じ)、極めてあっさり、「さようなら」とだけ云ってきたものだ。当時ぼくたちは、毎日のように死者を眺め、更に前線の友人たちの玉砕をきかされていたので、自分たちにも明日知れぬ命との実感があり、その場合、ぼくは所有した時から既にその存在を重荷とし、いたずらに苦労ばかりさせてきた自
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