組織されたのである。
宝塚少女歌劇養成会の教育方法は、すべて東京音楽学校の規則にのっとり、入学資格だけは小学校修業十五歳以下の少女にかぎり、修業年限を三年とし、その間に器楽、唱歌、和洋舞踊、歌劇を教授するものであって、我が国でもはじめての試みであった。
水泳場の仮舞台で初公演
さきに募集した第一、二期生達は、舞台に必要な基本的演技、すなわち声楽、器楽、和洋舞踊、その他全般にわたって約九ヶ月の間熱心に養成された。その進歩は早く、成績がすこぶるよかったので、ここに第一回公演期日を大正三年四月一日と決定して、公演に関する諸般の準備を着々として進めた。
まず第一に考慮せねばならないのは、生徒達が習いおぼえた演技を発表する劇場であった。だがこれは、さきに時勢に早過ぎて失敗した「パラダイス」の室内水泳場を利用することとなり、その水槽の全面に床を設けて客席とし、脱衣場を舞台に改造(夏は再び水泳場にするつもりであった)して、ここに宝塚少女歌劇公演用の記念すべき最初の劇場が生れた。そしてこの第一回公演に選ばれた曲目は、左の三曲目であった。
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北村季晴氏作 歌劇「ドンブラコ」
本居長世氏作 喜歌劇「浮れ達磨」
宝塚少女歌劇団作 ダンス「胡蝶の舞」
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このように上演脚本も選定せられて、配役も決定し、公演の練習に没頭した。それも、三月二十日から三十一日にいたる十二日間を、連日舞台稽古に費したというほどの慎重さをもって、いよいよ四月一日、処女公演の幕を開けた。
今日から考えると、それは温泉場の余興として生れたとはいうものの、日本劇壇の一つの新分野を開拓するものでもあった。それはやがて新国民劇として大成する芽生えが、微かにその双芽を覗かせていたのである。
糊と鋏で出来上った脚本
この処女公演は四月一日から五月三十日まで公開されたのであるが、その間には、いろいろ困った、といっても、またなかなか面白い話もあった。
はじめの頃は安藤君の作品が多かったが、その中でも、初期上演の「音楽カフェー」は代表的なもので、安藤君が作曲し、脚本も書いた。
あるレストランがあって、そこで何かのときに女給がお皿を叩いたり、フォークで調子をとって陽気に唄い騒ぐ、そういうハーモニーを考えて一つの歌劇をつくり上げたのだ。
何でも、ドイツかイタリーの音楽に「鍛冶屋」というのがあって、トントンと鉄砧《かなしき》を叩く、それからヒントを得たと言っていた。そういうふうにして、安藤君の作品が相当に集まって行った。
ところが、あるとき突然、先生は宝塚の方針に対して気にいらないことがあったと見えて、楽譜集を持って、どっかへ隠れてしまった。私は内心困ったなと思ったが、おもては平然として、
『安藤が隠れたって、オレはちっとも困らんよ。作曲は自分でする。』
安藤君は僕が音楽の知識のないことを知っているので、とても作曲なんぞできるはずがないと、たかを括っていたらしいが、僕は何とか唱歌集とか、学校の唱歌教科書を集めて来て、それを一ト通り読むと、まずここへこの歌を持って来る。それが終るとここで話をして芝居をする。今度はこの音楽を持って来る。というふうに、はさみとのりでどんどん脚本をつくった。さすがの先生も、それには閉口して、泣きを入れて帰って来た。こんな訳で、初期のものは安藤君のつくったものより、私のつくったものの方が多いくらいだ。
大正三年四月からやった「ドンブラコ」、これは北村先生のもので、八月一日から安藤君の「浦島太郎」、私が「紅葉狩」、安藤君の「音楽カフェー」、四年には薄田泣菫の「平和の女神」、「兎の春」、「雛祭」、安藤君は薄田のものをよくやっていた。とにかく、この頃は少し困ると『よしよし』といって、私がすぐひき受けるものだから、人の力を借りなくても、宝塚でどんどん作品ができた。
それが大正七、八年まで続いて、やや成功して来たので、私はのりとはさみを人に譲ってやめた。私がやっている時分はほんとうの田舎娘の集まりで、内々で好きなものがやっていたのだから、それでよかったわけだ。
そのころの女の子は、膝から上はどんなことがあっても出さない。もっとパッとまくって、足を見せなくてはいかんといっても、膝までは出すけれども、膝から上を出すなんて考えてもおらなんだから、先生方はどんなにやかましく? いっても、いうことを聞かない。それで非常に困ったのを今も憶えている。
新しい舞台芸術の萠芽
幸いに、この処女公演の成功の波にのって、その公演回数は春、夏、秋、冬の年四回と定めて、相次いで新作歌劇を上演することとなったが、不幸にして経済界の不況に影響されて、公演毎に観客数は予定の半ばにも達せず
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