この地を選んで新築せんとしたのである。日支事変のために、その計画を中止したのみならず、東京電灯に帰すべきその用地の大半は、航空会社に徴用され、辛うじて三角尖端の枢要地六百余坪を所有しえたるも、これまた戦局の進展とともに航空会社に包容せらるるにいたって、私の空想は一場の夢と化し終った。
その用地の境内に立って、日比谷公園から宮城方面の暮れゆく夏の夜の黒い樹木の上には、折柄片破れ月が澄みきった星空に光っている。右隣にそびゆる第一生命の白亜館が、浮き城のように巍然として輝いているのを見上げながら、ここが連合軍の司令部であり、わが国に平和を与えた救いの神マッカーサー元帥の事務所であることに敬意を表する。
第一生命のこの建物は、旧社長矢野翁心血の結晶であって、この戦争に巻込まれなかったならば、恐らく世界における有数優秀保険会社の一つとして、わが国の誇るべき大会社であったのである。私は、かつてこの会社の重役の一人として多年出入した関係から、この内部の堅固さと壮麗さとに対しては満足して居ったのであるが、マッカーサー元帥がこれを使用して以来、更に一層綺麗になったという話をきいて驚いたのである。
『我々は綺麗だとか、清潔だとかについて、限度の無いことを知らなかった。綺麗、清潔と言うても凡そ事務所の建物としては、ある程度の標準で満足して居ったのであるが、マッカーサー元帥司令部の掃除というものは、徹底的で、我々の考えとは天地の差があるのに驚いた。毎日毎日、一日も欠かさない、各階の掃除にはそれぞれ専門の軍人がいる。それも尉官級、佐官級であるらしい。そして各階の責任者が一応掃除のすんだことを報告すると、その上長官の一人が、更に全部を一巡して検視するのであるから……』
と、いう話を、石坂社長から聞いて、その学ばねばならぬことの多々益々多きを感ぜざるを得ないのである。
その綺麗さと、掃除の行届いたことと、ここにもまた眼の前、鼻の先に開展した好個の対照物について、私は老いの繰り言を、こぼさざるを得ないのである。それは東京会館と帝国劇場とである。
この二つの建物は昭和十一年、世界を一周して帰国すると、ただちにその理想を実現せんとして買収したものである。東京会館は現に、進駐軍の使用によって見ちがえるように花やかに、立派に、綺麗になっている。私の孫の大学生は、英語の勉強のために勤労者の一人とし
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