価にて買ひ来れるなれば、「問屋直《とひやね》にてその位なるべし、三束釣れば、先づ日当に当らん」と言ひしに、予の顔を見つめて、くつ/\笑ひ出す。「何を笑ふ」と問へば、「おとぼけは御無用なり、悉く知りて候」といふにぞ、「少しもとぼけなどせじ、何を知り居て」と問へば、「此の節は、旦那の出らるゝ前に、密《ひそ》かに蟇口《がまぐち》の内を診察いたしおき候。買ひし物を、釣りたりと粧《よそ》はるゝは上手なれども、蟇口の下痢にお気つかず、私の置鈎に見事引懸り候。私の釣技《うで》は、旦那よりもえらく候はずや」と数回の試験を証とし、年来の秘策を訐《あば》かれたりし。その時ばかりは、穴にも入りたき心地し、予の釣を始めて以来、これ程きまり悪《あ》しかりしことなし。斯《かか》る重大のことを惹き起せしも、遠因は、「ひよつとこ鈎」に在りと想へば早く歯科医に見せざりし、鯰の口中こそ重ね重ねの恨みなれ。
『これよりは、必ず、蟇口検定を受けて後ち、出遊することに定められたれば、釣は俄かに下手になり、大手振りて、見せびらかす機会も無くて』と、呵々《からから》と大笑す。
 予も亦、銃猟者の撃ち来れる鴨に、黐《もち》の着き居し実例など語りて之に和し、脚の疲れを忘れて押上《おしあげ》通りを過ぎ、業平にて相分れしが、別るゝに臨みて、老人、『その内に是非お遊びに』と言ひかけしが、更に改めて、『併し御承知の通りなれば、雨の日にて無くば』と断りき。無邪気なる老人の面影、今尚目に在り、其の後《ご》逢《あ》はざれども、必ず健全《けんざい》ならん。



底本:「集成 日本の釣り文学 第二巻 夢に釣る」作品社
   1995(平成7)年8月10日第1刷発行
底本の親本:「釣遊秘術 釣師気質」博文館
   1906(明治39)年12月発行
※ルビを新仮名遣いとする扱いは、底本通りにしました。
入力:門田裕志
校正:土屋隆
2006年10月24日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全4ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
石井 研堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング