声を有する天賦ある数人の運命に就て語つてゐる。かくの如く異常なる心力を有する婦人の生涯の記述を通じて円満、完全なる美しき生活に対する不満の欲求とその欠乏より生ずる不安と寂寞の著しき足跡が印せられてゐる。これ等の立派なる心理的描写を通じて吾人は女子の智力が発達すればする程彼女にその性ばかりでなく、人類、友人、伴侶及び強き個性を認める様な配偶者に出遇ふことが愈々むづかしくなつてゆくのを見ない訳にはゆかない。彼女の配偶者は彼女の性格の一点一画をも見逃してはならないのである。
男子は一般に自負心を有してゐる。而して女性に対し当然保護の力あるものゝ如く滑稽なる虚勢を示すものが多い。かくの如き男子はラウラマルホルムによつて描かれたる婦人の配偶者たるべく到底不可能である。又|只管《ひたすら》彼女に智力と天才とを認むるばかりで女子の天性を覚醒することをあやまるが如き男子も等しく彼女に協《かな》はざる者である。
豊富なる智力と美しき心とは通常深く美しき性格の必然なる属性と考へられてゐる。近代婦人の場合に於ては、これ等の属性は彼女の存在の完全な肯定に対して障碍となつてゐるのである。「死が別離を余儀なくするまで」といふが如き言葉を有する聖書を基礎とした旧い結婚の形式が百年以上も女子を圧服する男子の主権、男子の気まぐれと命令に対する女子の絶対服従、彼の名と扶助に対する絶対の依頼等を代表する制度として定められてゐた。旧き結婚関係が女子をして只だ男子の下婢であり、子供の携帯者たらしむるものであるといふことはこれまでも度々断乎として証明せられた。然るに解放せられたる多くの婦人が独身世界の狭隘なるを厭ふて、様々の欠点あるにもかゝはらず結婚生活に走る傾向がある。これは全く女子の本性を拘束する道徳上及び社会上の偏見の鉄鎖が煩はしく耐へがたきものになつてきたからである。
多数の進歩せる婦人がかくの如き矛盾に陥るの理由は解放の意義を実は理解してゐなかつたといふ事実によつて説明せられる。彼等は只管に外部よりの圧迫を脱して独立する事をのみ必要であると考へた。而して人生と成長とに更に更に有害なる内部圧制者である道徳及び社会上の習俗はそのまゝに打捨てて省みなかつたのである。習俗はそのとるべき道を進んだ。而してそれは今尚ほ吾人の祖母の頭と心とに栄えたるが如く依然として婦人解放論者の最も活躍せる代表者の頭と心とに美しく生きてゐる様に思はれる。
これ等の内部圧制者は輿論の形に於て、或は父母、兄弟、親戚の言葉となつて現はれてゐる。グランデイ夫人、コムストツク氏、雇主、文部省等はなんと云つてゐるか? 全てこれ等の御世話好きと、品行探偵と人間精神の獄吏――この人等はなんと云つてゐるか? 全てかくの如き者をものとせず、自己の立場を確立し、何等の拘束なき自由を主張し自己本然の声――それが生の最大宝庫なる男子に対する愛にせよ、或は最も光栄ある分娩の特権にせよ――に耳傾くることを学ぶまで婦人は真によく解放せられたりと称することは出来ないのである。解放せられたる婦人にして自己の胸底に絶へず波動しつゝ、聞かれんことを求め、満されんことを望んでゐる愛の声を真に自已の天職なりと信じ、進んでそれを承認せんとする婦人は果してどれ程あるであらう?
仏蘭西の作家ジエーンライブラハは小説“New Beauty”の中に解放せられたる理想的美人を描き出さんと企ててゐる。その理想は医師を職とする一少女に体現せられてゐる。彼女は育児法に就て極めて巧妙に物語る。彼女は又親切であつて貧困なる多くの母に自由に薬を供給する。彼女はある知己の青年と未来の衛生状態に関して会話する。而して汚れたるボロを打捨て、石の壁と床を使用することによりて多くの黴菌が駆除せらるるといふことなどを話す。彼女は勿論甚だ質素に実用的な服装をしてゐる。衣物の色はたいてい黒である。青年は彼女との最初の会合に於て解放せられた友人の智識に敬服する。彼は次第に彼女を理解しやうとする。而してあるうららかな日に、彼はとう/\彼女を愛してゐるといふ意識を持つ。彼等は二人とも若い。女は親切で美しい。たとへ服装はキチンと整ひすぎてはゐるが一点の汚れもない白いカラアとカフスによつて柔かい感じを与へてゐる。読者は青年が彼女に恋を打明けることを期待するであらう。然し彼は馬鹿/\しきローマンスを実行するやうな人間ではない。詩と恋の情熱とはその婦人の純潔なる美の面前に紅葉する顔を被《おお》ふてしまふ。青年は自己の自然の声を黙殺して方正な態度をとる。彼女もまたいつもキチヨウメンで、理性的で、品行方正である。若《も》し彼等が結合を作つたなら、青年は恐らく凍死するの危険を冒さなければならなかつたかも知れないと私は気づかつてゐる。私はこの新しき美人に何等の美を発見する事が出来ないものであることを告白しなければならない。彼女はその夢想する石の壁や床の如く冷淡なのである。私はかの物尺《ものさし》によつて計らるが如き品行方正よりも寧ろロマンチツク時代の恋歌、ドンフハンとヴイナス夫人の恋、或は父母の呪咀と悲哀と隣人の道徳的弁明等を後にして梯《はしご》と縄とによる月夜の出奔を讚美したい。恋愛にして無制限に与へ取ることを知らないなら、それは恋愛でもなんでもない。単にプラスとマイナスに力瘤を入れることを忘れない取引の如きものである。
現代に於ける婦人解放の最大欠点は人工的に堅苦しきこと、及び狭隘なる虚勢を張らんとしてゐる処に存してゐる。かくして女子の霊魂に空虚が生じ彼女は生命の泉を飲むことが出来ない様になつてしまふのである。私は且て真に新しき婦人と所謂普通の解放せられたる姉妹との間に有する関係よりも、常に子供の幸福と、自己の愛する人々の幸福を祈る旧き母と主婦とかの真に新しき婦人との間に有する関係が遙かに深いものであるといふことを述べたことがある。単純なる解放論者は私を異端視し火刑に処すべき者であると公言した。盲目なる情熱に走る彼等は私の新旧婦人の比較の如何なるものなるかを洞察することが出来なかつたのである。私は今日諸官省学校等に散在せる所謂解放せられたる多数の職業的婦人よりも我々の祖母の多数がその脈管中により多くの血を有し、更に多くの機智と諧謔と、自然らしさと、素朴と親切の多量を有してゐたといふことを証拠立てんとしたのみである。これは徒に過去に婦人をかへそうといふのでもなければ又女子を彼女の旧き雰囲気なる台所と育児室に押込め様とするのでもない。
救済は更らに光明ある未来へ全力を挙げて猛進する処に存する。我々は旧き伝説と習慣の拘束を脱して自由に成長する事を必要とする。婦人解放運動はその方向に向つて只だ一歩を進めたのみである。私はこれから更に力を集中してその第二歩を進まんことを希望する。選挙権或は公民権は如何にも善い要求であるかも知れない。併しながら真の解放は選挙場或は法廷では初まらないのである。解放は先《ま》づ女子の心霊中に初まる。全ての圧服せられたる階級はそれ自からの努力によつてのみ真の自由を得てゐることは歴史が我々に語つてゐる。故に女子はその教訓を学び、自由は自己の自由に対する努力次第で達せられるものであるといふことを実現することが必要である。故に、あらゆる偏見と伝説と習俗の覊絆《きはん》を切断し、自己心内の新生を創始することが遙かに重要である。人生のあらゆる方面にわたる権利の平等を要求することは正しく公平なことである。しかしながら最も根本的の権能は畢竟愛し、愛せれることである。実際、婦人解放が完全にして真正なるものとなるの暁にはかの愛せらるゝこと――即ち恋人であり母であること――が奴隷であり、附属品であるといふことと同意義であるといふ様な滑稽な観念は排除されてしまはなければなるまい。或は又男性と女性とは二個の相反せる世界を実現するものであるといふが如き性的二元説の無稽なる観念も等しく取去られなければならないであらう。
瑣々《ささ》たるものは分離し、広きものは結びつく。私等は相互に博大な心を持つ様にならなければいけない。我々の周囲に群がる有象無象のために、ものの根本を見逃してはならない。両性関係の真の意義は征服者、被征服者といふが如き関係を許さない。それは只だ一ツの偉大なることを知つてゐる――即ち自己をより豊富に、より深く、より善くするために自己を限りなく与ふるといふことである。それのみが只だ空虚を満たし、婦人解放の悲劇を無限の歓喜に変ずるであらう。
底本:「定本 伊藤野枝全集 第四巻 翻訳」學藝書林
2000(平成12)年12月15日初版発行
※ルビを新仮名遣いとする扱いは、底本通りにしました。
入力:門田裕志
校正:Juki
2006年12月22日作成
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