ン等の思想は後世のために拒否せられ、或は売られてゐる。群衆にとつてかかる思想は無用なのである。リンコルンの偉大と勇気とは当時の背景を創造した人々に於ては全く忘れられてゐる。黒人の真の保護者はボストン、ロイド・ガリゾン、ウエンデル・フイリツプス、トロウ、マアガレツト・フラア、セオドル・パアカア等の少数者によつて代表せられた。その人々の不屈なる勇気は巨人ジヨン・ブラウンとなつて現はれた。彼等の不撓なる熱心と雄弁と忍耐とは遂に南方領主の要塞を顛覆した。リンコルン及び彼の徒は奴隷廃止が実行となつて現はれ、万人によつて承認せられた時、始て運動に従事したのである。
約五十年以前、彗星の如き思想は世界の社会的地平線上に現出した、其思想は全世界の圧制者を悉く戦慄せしめた。遠大にして革命的な思想は又万人の歓喜であり希望であつた。パイオニヤアは彼等の進みゆく道の如何に険悪であるかを自覚してゐた。あらゆる迫害と反抗と艱難と痛苦とが彼等を待つてゐるといふ事を知りぬいてゐた。然しながら、彼等は自若として彼等の信ずる道に進み、進んだ。今や、其思想は全世界のスローガンとなつた。今日に於て人は皆な一個の社会主義者である。富豪とその哀れむべき犠牲者と、律法と威権の維持者と不幸なる犯罪者と、自由思想家と虚偽なる宗教伝道者と、流行界にときめく淑女と襤褸《ぼろ》をまとふ工女と皆な等しく社会主義者である。然るにかの五十年以前の真理は全く虚偽と変つてしまつた。当時の盛なる青春の意気と勢力と革命的理想とは悉く萎縮し去つたのである。何故にかくの如き現象が生じたのであらう? かの思想は今は美しき幻影ではなく、多数者の意志を基礎として行はるる『実際的計画』と変じたからである。政治権謀はとこしへに虐げられたる哀れな群集の称讚を歌つてゐる。
私は全ての選挙者と共に如何に群衆が常に簒奪《さんだつ》せられ、利用せられつつあるかを知つてゐる。此恐るべき状態に対して当然責任を有すべきはかの寄生虫ばかりでなく、群衆それ自身であると主張したい。群衆は常にその主人に屈従し、鞭韃せらるるを好む。而も一度、朽廃せる制度と資本家の神聖に対する反抗の声の挙げらるる時、「十字架につけよ!」と真先に叫ぶ者は実に彼等である。群衆にして兵士たり、政治家たり、獄吏たり、死刑執行者たるの意志なくんば、如何にしてかの当局者と私有財産の存在を維持することが出来やう。私が改めて云ふまでもなくこれは社会党の主領もよく心得てゐることである。然しながら彼等の生活法が権力の永続を意味してゐるので、彼等は多数者の効力といふ神話を主張してゐる。如何にも、権力と強迫と従属とは群衆を基礎として成立せられてゐる。然しながらかの個人の自由を主張し得る自由なる社会の出現は到底望むことが出来ないのである。
かく云ふ私は必ずしも地上の追放者と被圧制者に対する同情がないからではない。又彼等の送る生活が如何に悲惨であり、侮辱せられたるものであるかを知らないからではない。私は只だ善の創造力を欠如せるが故に群衆を唾棄するのである。否、否、私は只だ彼等が一団の群衆として何等の正義、平等をも代表し得ないことをあまりによく知りぬいてゐるから。彼等は人類の精神を圧服し、肉体を束縛した。群衆は人生を砂漠の如く単調灰色なるものと化さんことをのみ目的とする。彼等は常に独創と個人主義と自由思想の絶滅者である。『群衆は浅薄で不具で彼等の要求と勢力とは常に有害である。彼等に媚びる必要は決してない、彼等は只だ教育せらるべきである。私は群集に対して譲歩すべき何物も有してはゐない。私は彼等を訓練し、分離せしめて優秀なる個人を撰抜せんと欲するばかりである。群集! 彼等は禍なるかな。群衆は無用である。私は唯だ正直なる男子と美しく愛らしい賢婦人とを要求する。』とエマアソンは云つた。私はその言葉を彼と共に信ずる。
言葉を換へて云へば、健全なる社会状態の幸福と真理とは唯だ賢明なる少数者の妥協せざる熱心と勇気と決断によつて実現せられるのである。
底本:「定本 伊藤野枝全集 第四巻 翻訳」學藝書林
2000(平成12)年12月15日初版発行
※ルビを新仮名遣いとする扱いは、底本通りにしました。
入力:門田裕志
校正:Juki
2009年8月3日作成
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