も許すべからざる罪になつてゐる。之が民主主義を標榜してゐる国に最も著しく現れてゐるといふことは甚だ意味深いことでなければならない。恐るべき多数者の力。
 ウエンデル・フイリツプスは五十年以前に云つた。『絶対民主平等のわが国では輿論は唯だに万能《オムニポーテント》である許りでなく、遍在《オムニプレゼント》でもある。輿論の暴戻《ぼうれい》から逃るべき道もなく隠るべき場所もない。仮令《たとえ》諸君がかの古の希臘《ギリシア》の提燈《ランタン》を携へて探しまはつても、世間の評判によつて自己の社会上の位置や仕事の上に何等の利害得失を蒙らない人を見付出すことは不可能であらう。吾人は自己の確信を臆することなく吐露する個人の集団ではなく、他の国民に比して極めて臆病なる群衆である。吾人は相互に恐れ合つてゐるのである。』これによつて見ると現代はかのウエンデル・フイリツプスを障げた当時の状態から幾許も進んではゐないのである。
 今日もかの当時に於ける輿論は遍在せる暴君である。現代の多数者は臆病者の群集を代表し、自己の心霊の貧弱を遺憾なく映ずる人間を喜んで歓迎してゐる。それはかのルウズベルトの如き人間が前例にな
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