つたのだ。

     二

 私はロシアに来た幾週間もしないうちに、ペトログラドで一番いゝ第一の学校を訪ねる機会を持つ事が出来た。それは、ポカザテルナヤ・シユコラ即ち模範学校と呼ばれて、文字通りの『見世物学校』だつた。私はずつと後まで、其の意味を捉《つか》む事が出来なかつた。其の学校は、ホテル・ド・ルウロオプの中にあつた。それは、広々とした室《へや》や、綺麗な枝形燈架や、贅沢な家具などと共に、往時の雅致をまだ多分に残してゐる場所だつた。
 一九二〇年の冬、ペトログラアドの燃料の欠乏は、殆んど其の全人口を涸らすばかりにひどかつた。で、出来るだけ僅《わず》かの宅の中に子供等を詰め込む事が必要だつた。が、子供達は綺麗に、よく世話されて、気楽さうにしてゐた。子供達は平均六つから十三までゝ、営養もよく、丈夫さうに見えて、満足さうだつた。受持の医者が、私を案内してきれいな料理鍋で輝いてゐる炊事場までも含めて見せてくれ、いろんな事の詳細な説明をしてくれた。
 其の学校は、子供の集散する中心のやうに使はれてゐた。子供達は、ロシアのあらゆる方面から、どんな僻遠の地方からでも、其処に連れられて来た。彼等は虫の喰つたボロ/\の着物で、やつれて、そして病気にかゝつてそこへ来る。来ると彼等は湯にはいり、体量や身長を計り、うまいものを飽きる程食はせられてそして一般治療を受ける。暫《しば》らくの間彼等は其の学校にゐて初等教育を受ける。そしてやがて子供のための他の寄宿学校に送られる。

     三

 私はそれを見て非常な感銘を与へられた。これが本当にあの、子供のためにした大事業に就いて、アメリカまでも伝はつて来た報告の証拠なのだ。
 が、此の美はしい画面の中に、それを乱すたつた一点があつた。私の接待役の婦人の医者は、一寸《ちょっと》した言葉のはづみから、幾人かの子供達が『今隔離中で』見ることが出来ないと云ふ事を明らかにした。
『何か伝染病ですか』と私は尋ねた。『いゝえ』とその淑女は云つた。『其の子供達は小さな泥棒なのです。で私達は、それを他の子供達から離して置かなければならないのです。』
 私は呆《あき》れて口がきけなかつた。それはアーネスト・クロスビイが描いたやうな校長トルストイを私に思ひ出させた。一人の子供が学校で何か盗んだ。他の子供達は彼を泥棒だと云つて、彼れを罰することを先生に求めた
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