に捕捉しがたいものである。人生は一定不変のものではなく、常に千変万化して生長してゆく、而して神秘の道程に沿ふて全ての生物を導き、吾人の哲学中にあつて夢にも見る能はざるものを示してくれるものである事を彼等は知らないのであらうか。人生は吾人の期待せざる種々の運命と驚異すべき経験を貯へ吾人の先見し能はざる幾多の蕾を蔵するものなる事を彼等は瞥見する事が出来ないのであらうか。人生の美しさはその容易に打算し能はざる処に存し、人生に於ける偉大なる事業とは人生に横《よこた》はる幾多の不安をものともせず次第に高峰を仰で攀登《はんとう》するにありといふ事を彼等は感じないのであらうか。
 若し吾人にしてこの事実を認め得たならば仮令それが如何程崇高なるものにせよ一定不変の理想と云ふが如きものを要求することはないであらう。自己のみの理想と雖《いえど》も明日はそれが一般のものと変じ、更らに又新らしき理想が生れて、それを破壊するものであるといふことを知つてゐる人にとつてこの無限なる人生が単一無二の標準によつて推移して行かなければならぬと云ふ思想程恐ろしいものはないであらう。
 かくして理想主義なるものは各人が皆な自己の理想を最高なるものの如く思惟し仮令それが他の人々に如何程馬鹿々々しく或は不必要に又恥かしきものと見ゆるとも当人はそれが為めに生死を共にして悔ひないものであるといふことを認める事が出来る。
 理想主義者とは恰《あた》かも重き鉄槌を振りまはし義務と云ふ概念の砂礫を道路に打ち込み以て他人の旅行を容易ならしめんと企てるが如き人である。然しながら、地上の道路は無限に延長せられ、両極より赤道に至る迄無数の風習と気質とを異にする人生が横はつてゐるのである。かくの如き多変の人生に対し唯一無二の道徳的標準として生涯不変の恋愛説を主張せんとするが如きは思ふだに愚なることである。
 かくの如く主張する人々は自己の思想を同種類の隣人によつて定められたる狭隘なる圏外に彷徨《さまよ》ひ出づることを許さなかつた。彼は又理想なるものは大多数の人々には不可解なるものであつて若し一度それを絶対なるものとして一般人類の上に強ふる時は全く排斥せられるものであるといふことを忘れてゐる。
 自己の精神より溢れ出づる信念を宣言すると云ふ事は他人に対して同一の精神状態を要求するといふ事ではない。併しながら人が自己の教訓或は生涯に
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