徐々に下ろして行ったのだ。それから、吊り紐を旧通《もとどおり》の位置にしてから、その裾を二列に合せて、四つの幡の裾を浄善の咽喉に当てたのだがね。然し、その頃から、干茎中の血液が次第に消失して行ったのだったけれど、それは前以って、自分の着衣に血痕を残さないため、犯人が小窓を開いて置いたからなんだ。当然そこからは、灼熱せんばかりの日光が差込んで来る。ねえ支倉君、血液の九〇%以上は水分なんだぜ。それが蒸発した後は、無論以前と大差ない重量になってしまうのだ。然し、その減量と収縮は、僕等が到着する迄の、二時間余りの時間内に終ってしまったのであって、発見した際に尼僧達は、玉幡の膨脹には気が付かなかったのだ。そうしてから、犯人は、愈最後の幕切れになって、あの金色燦然たる大散華を行ったのだよ。と云うのは、無論浄善の廻転にある事だが、その時尼僧の咽喉に喰い入っていた玉幡が、どう云う状態にあったかと云うと、急激な膨脹と収縮が相次いで起ったために、表面の金泥が浮き上って剥離しかかっていた所なので、あの猛烈な遠心力が、一気に振り飛ばしてしまったのだ。だが、そうした玉幡の廻転は、階下にいる推摩居士にも影響して、その瀕死の視覚に映じたものがあった。君は推摩居士が、「宝珠は消えたが、まだ孔雀は空にいる」と云った言葉を憶えているだろう。可成り神秘感を唆る文句だけれども、その正体と云うのは、一種の異常視覚に過ぎないのだ。つまり、格子戸の桝目に映った火焔太鼓の楕円形が、玉幡の円孔《まるあな》の現滅につれて、或は孔雀の輪羽のように見えたり、また円孔が現われない時には、その二つ三つだけが残ったりして、結局推摩居士に、そう云う錯視を起させたに違いないのだよ」
検事は聴くだけでも相当疲労を覚えたらしく、彼は夢の中のような声を出した。
「すると密室は? 君が切り開いた中にもう一つあったのは?」
「それは、密室と云うよりも、笙がどうして自然に鳴ったかなんだよ」法水は几帳面な訂正をして、「それから犯人は、笙に仕掛を施して、その後に、玉幡を切り落してから階下へ下りたのだがね。所で君は、酒精《アルコール》寒暖計を知っているかね――細い管中の酒精《アルコール》が熱で膨脹すると云うのを。つまり犯人は、笙の吹き口に酒精《アルコール》を詰めて、それを縦にした根元を日光へ曝したのだ。そうすると当然膨脹した酒精は、中の角室の空気
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