、西の内を張った※[#「木+需」、第4水準2−15−67]子障子が、格の間に嵌められてあった。然し、その重い網扉がけたたましい車金具の音と共に開かれ、鉄気《かなけ》が鼻頭から遠ざかると同時に、密閉された熱気でムッと噎せ返るような臭気を、真近に感じた。前方は二十畳敷程の空室で、階下の板敷と二階の床に当る天井の中央には、関東風土蔵造り特有とも云う、細かい格子の嵌戸が切ってあった。そして、双方の格子戸から入って来る何処かの陽の余映を、周囲の壁が、鈍い銅色で重々しく照り返していて、またその弱々しい光線が、正面の壁に打衝《うちあた》ると、そこ一面にはだかっている十一面千手観音の画像に、異様な生動が湧き起されて来るのだった。所が、その画像を見詰めながら、法水が一足閾を跨いだとき、右手にある階段の上り口に、それは異様なものが突っ立っているのに気が付いた。その薄ら茫やりとした暗がりの中には、地図のような血痕の附いた行衣を着て、一人の僧形をした男が直立している。そして、その男は、両手をキチンと腰につけたまま膝をついていて、正面に烱々たる眼光を放っているのだ。然し、眼が暗さに慣れるにつれて、更に驚くべきものを見た、と云うのは、その男の両足は、膝蓋骨から三寸ほど下の所で切断されていて、その木脚のような二本の擂木《すりこぎ》が、壁に背を凭せ全身を支えて突っ立っているのだった。「これが推摩居士なので御座います」と、この凄惨な場面《シーン》に適わしからぬような、恍とりとした声で、盤得尼が云った。ああ、なんと皮肉な事であろうか、殺された当の人物と云うのが、奇蹟行者だったのだ。「所が、正午頃夢殿に入られてから発見される一時十五分迄の間と云うものは、一向に何んの物音もなく、それに、嗄れ声一つ聴こえませんのでしたが……」
 推摩居士の年齢は略々《ほぼ》盤得尼と頃合だけれども、その相貌からうける印象と云えば、まず悉くが、打算と利慾の中で呼吸している、常人以外のものではなかった。鋭く稜形に切りそがれた顴骨《かんこつ》、鼠色の顎鬚――と数えてみても、一つは性格の圭角そのもののようでもあり、またもう一つからは、浅薄な異教味や、喝するような威々しさを感ずるに過ぎなかった。総体として、※[#「口+奄」、第3水準1−15−6]《おん》の聖音に陶酔し、方円半月の火食供養三昧に耽る神秘行者らしい俤は、その何処にも見出さ
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