する。きっと、ザチはソ連の女だろう、と、折竹はそういうように考えていた。しかし、どこにもザチらしい婦人はいない。ただ、テムズを越えてみえるバタッシー公園の新芽の色が、四月はじめの狭霧にけむり、縹渺《ひょうびょう》として美しい。
 翌朝は、ロンドンの郊外クロイドンの飛行場。アームストロング・ウィットウァース機の車輪一度地をはなれれば、鵬翼欧亜の空を駆り日本へと近付いてゆく。が、まず彼は事務所にいって、同乗の旅客表《ブラッキング・シート》をしらべたのである。しかし、ザチの名はなかったのだ。
「たいていは、アラビアオーマン国の王子ご新婚式に出むかれる、新聞社の方々や外交関係でございます」と、折竹に旅客掛りが説明をする。
「ご婦人※[#疑問符感嘆符、1−8−77] それはお一人ですが、ハッキング卿夫人で。いいえ、外国の方は貴方さまばかりで……」
 やがて、機はふんわりと空中に浮び、朝の湿気のもとに広茫とひろがっているクロイドンは、はや見えずになってしまった。左様なら、また、信念を充すものがくるまで、探検よさらば。と、翌夜捲きこまれる奇怪な運命があるのも知らず、彼は胸をくもらせ、無限の感慨にひた
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