ている。つまり、外国製地図の誤謬《ごびゅう》をただし、一度も日本人の手で実測が行われていない、この地方の地図を完璧なものにしようとするのだ。
 しかしそれは、忍苦と自己犠牲の精神に富んだ日本人中の日本人、彼折竹を俟《ま》ってはじめてなし得ることだ。彼でなければ、誰が事変中の支那奥地へのこのこと乗りこめるだろう。あの海外学会への名声がなければ、誰が外国旗のもとに万全の保護をしてくれるだろう。いま私は、その百万に一人ともいう珍しい男をみている。顔は嶽風と雪焼けで真っ黒に荒れ、頬は多年の苦労にげっそりと削《こ》けている。私はなんだか鼻の奥がつうんと痛くなるような気持で、しばらくじぶんの用件をもち出すのも忘れていたほどだ。そこへ、折竹が察したような態度で、
「君は、 Lha−mo−Sambha−cho 《ハーモ・サムバ・チョウ》を知っているかね」と訊いた。
「 Lha−mo 《ハーモ》……?![#「?!」は横一列]」私が、しばらく目を見はったのみでなにも言えなかったほど、それほど、のっけから唖然となるような名前だ。彼が……では、 Lha−mo−Sambha−cho 《ハーモ・サムバ・チョウ》へ行ったのか、いやいや、あすこへは決して行けるわけがないと、心では打ち消しながらやはり訊かずにはいられない。
「君が、まさか往《い》ったのではないだろうね」
「いや、往けばこそだよ。あすこは、米国地学協会《ナショナル・ジェオグラフィック・ソサエティ》のダネック君が、ここ数年間|執拗《しつよう》な攻撃を続けていた。僕は、その最後の四回目のとき往ったのだが……そのときの、想像を絶する悲劇のさまを君に話したい。じっさい僕も、そのときの衝撃で休養が必要になったのだ」
 といわれ、はじめて気がついたように折竹をみると、色こそ、※[#「けものへん」に果、148−9]※[#「けものへん」に羅、148−9]《ローロー》の※[#「けものへん」に栗、148−9]※[#「けものへん」に敕、148−9]《リューシ》のような夷蛮《いばん》と異らないが、どこかに影がうすれたような憔悴《しょうすい》の色がある。これは、きっと肉体的な衝撃《ショック》よりも精神的なものだろうと、思うとともに期待のほうも強まってくる。彼はたしかに、なにか想像もできぬような異常な出来事に打衝《ぶつか》ったにちがいない。
 ところでまず、 L
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