また何故に、損害の軽微な潜航艇戦にも出なかったのであろうか。それには、陸上トレンチノ線の、快勝が原因だったのである。
伊太利陸軍は、参戦以来、主力をイゾンゾに注いで、大規模な攻撃を開始した。しかし、費やした肉弾と、砲弾の量にもかかわらず、わずかイゾンゾ河の下流で国境を越えたにすぎなかった。そこへ、対セルビアの戦闘が終結したのである。
墺軍は、俄然そこで攻勢に転じた。まず、イゾンゾ方面に、兵力集結の偽装をおこない、そうして、伊軍の注意を、その方面に牽《ひ》きつけておいて、その間《かん》に、こっそり攻勢の準備を整えていた。
露墺戦線よりの三個師団、イゾンゾ方面より四個師団、バルカン方面より三個師団、さらに、国内で編成した混成三個旅団を、それまでのケーブエス、ダンクル軍に合わせたのである。そして、オイゲン大公指揮の下に、伊軍陣地を突破して、ヴェネチア平原に進入しようと企てたのであった。
四月二日払暁、ロヴェレット南方より、スガナ渓谷《けいこく》にいたる、トレンチノ全線の砲兵が、約二千門といわれる砲列の火蓋を切った……。それが伊墺戦線最大の殺戮《さつりく》なのであった。モリ南方高地からかけて、ズグナ・トルタ山、マッギオ山、カムポ山、アルメンテラ山を経て、コロー山にわたる伊軍第一陣地は、夕刻までに大半破壊されてしまった。
その頃には、南方チロール地区隊、ギヴディカリー部隊を先頭に、歩兵が行動を開始した。ケーブエス軍は、一部をアディジェ河谷に、主力をアスチコ河谷に向けて、アルシェロ市を目標とした。また、ダンクル軍は、一部をスガナ河谷に、主力をチエッテ・コムニ高原に向け、これはアジアゴ市を目標とした。
そして、猛烈な火砲戦に、算を乱し、潰走する伊軍を追うて、まもなく、その両市を占領することができた。
が、墺太利《オーストリヤ》海軍にとると、この大勝禍いなるかなであった。おそらく、両国の勝敗が、陸戦で決せられるものと見込んだのであろう、いつのまにやら、燃えていた必戦の意気が消えてしまった。しかしその後は、戦線にも格別の変化がなく、ただ伊軍は、じりじりと墺軍を押し戻していった。
それが、決戦派の首領、男爵フォン・エッセンには耐《たま》らなかったのである。彼は、機さえあれば怒号して、軍主脳部に潜航艇戦をせまったのであった。
――わが国は、かつて統一戦争の当時、伊太利《
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