時過ぎにはとうに雨戸を鎖ざしてしまう筈のお筆が、その日はどうした事か、からりと開け放っているばかりでなく、縁に敷物までも持ち出して、その上にちんまり坐っているのだった。それだけの事なら何処に他奇があろうぞと云われるだろうが、その時、或は、お筆が狂ったのではないかとも思われたのは、彼女があろう事かあるまい事か、襠掛《しかけ》を羽織っているからだった。全く、八十を越えて老い皺張った老婆が、濃紫の地に大きく金糸の縫い取りで暁雨傘を描き出した太夫着を着、しかも、すうっと襟を抜き出し、衣紋《えもん》を繕っているのであるから、それには全く、美くしさとか調和とか云うものが掻《か》き消《う》せてしまって、何さま醜怪な地獄絵か、それとも思い切って度外れた、弄丸作者《しなだま》の戯画でも見る心持がするのだった。然し、次第に落ち着いて来ると、お筆が馳せている視線の行手に杉江は気が付いた。それがいつもの通り、口を屹《き》っと結んでいて、その※[#縦長の「へ」を右から、その鏡像を左から寄せて、M字形に重ねたような記号、368−9]《いりやま》形の頂辺《てっぺん》が殆んど顔の真中辺まで上って来ているのだが、その幾分もたげ気味にしている目窪の中には、異様に輝いている点が一つあった。そして、そこから放たれている光りの箭が、遠く西の空に飛んでいて、寛永寺の森から半身を高く現し、その梢を二股かけて踏んまえている大観覧車に――はっしと突き刺っているのだ。

     三、老遊女観覧車を買い切ること
        並びにその観覧車逆立ちのこと

 仮りにもし、それが画中の風物であるにしても、遠見の大観覧車と云う開花模様はともかくとして、その点晴に持って来たのが、ものもあろうに金糸銀糸の角眩ゆい襠掛――しかもそれには、老いと皺とではや人の世からは打ち※[#「てへん+去」、369−2]がれている老遊女が、くるまり眼をむいているのであるから、その奇絶な取り合せは、容易に判じ了せるものではなかった。のみならず、遠く西空の観覧車に、お筆が狂わんばかりの凝視を放っていると云う事は、また怖れとも嗤《わら》いともつかぬ、異様なものだった。けれども、そうしているお筆を眺めているうちには、何時となく、彼女が人間の限界を超絶しているような存在に考えられて来て、そこから満ち溢れて来る、不思議な力に圧倒されてしまうのだった。が、
前へ 次へ
全18ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小栗 虫太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング