円筒が気流によって廻転を始めるにつれ、やがて紐は手繰《たぐ》られてピインと張り、片方の端にある短剣を吊り上げたのです。ところで、氷柱が動力線に達するまでの時間と円筒の廻転数との間に、非常に精密な計算が必要だったと云うのは、短剣が大鐘の裾に達する寸前に氷柱が電流を導かねばならなかったからです。なぜなら、触電によって鐘に起る磁性を期待する以外に、短剣の投擲を実現する方法がないからでした。つまり、鐘に起った磁力が短剣の頭を吸いつけたのですが、一方釣り上げられるので横様になったところを、もう一つの鐘が銅製の鍔《つば》を弾き飛ばしたのです。その時、束に糸を粘着させていた凝血が剥《は》がれて、それが鐘楼の採光窓の付近に落ちたのですよ。また扉の前方にあったのも、糸が通過した径路を証明する以外のものではありませんでした。そうして、糸は鍵穴を通過し終って置洋燈の円筒の中に巻き納められ、と同時に、それまで糸に支えられていた鍵の押金が垂直に下りて、それで犯行の全部が完全に終りました。」
 証明が終ると法水の顔から照りが引いて、
「どうです!?[#「!?」は一文字、面区点番号1−8−78] 今度は鐘声を中心に、脱出して行くルキーンの姿が描かれているでしょう。もちろんそれは、姉さんの仕組んだ二つの不在証明《アリバイ》の一つなのです。外側から鍵を下す技巧は相当幼稚なものですが、鐘声はその神秘感ばかりではありません。幸い解けたものの、さてあれ程の計画を創作出来るかと聴かれたら、残念ながら否《ノウ》と答えるよりほかにないでしょう。とにかく姉さんは、これまで僕に挑戦した犯罪中最大の強敵でしたよ。」
「そうすると、姉は死刑でしょうか。」イリヤはとうとう触れてしまったが、法水は告白書の終りの数行を折って示した。すると、いきなり彼女は机の端をギュと掴んで血相を変えた。
「毒!![#「!!」は一文字、面区点番号1−8−75] では、貴方《あなた》は姉に自殺を……」
「冗談じゃない。怒るのは僕の話を聴いてからにして下さい。」法水はそう云って立ち上り、彼女の肩に優しく手を置いた。「昨日の夕方、僕が帰りがけに貴女方の室へ寄りましたね。その時、そっと姉さんのポケットへ忍ばせておいたのです。無論すぐ気がついたでしょうが、夜半に鐘が鳴ったりして服毒する機会がなく、今日になって貴女の外出を待つよりほかになかったのです。と云って、包にはあるアルカロイドの名が書いてありますが、内容《なかみ》は僕のポケットに偶然入っていた催眠剤なんですよ。つまり、この事件の成因に僕独自の解釈を施した結論でして、犯人に対する刑の執行が、刑務所より精神病院の方がふさわしいと考えたからです。真相が僕一人だけの秘密だとすれば、当然僕に裁く権利があるはずですからね。」
 その数時間後、二人の同乗した寝台車《アンビュランスカー》が、折から茜《あかね》色の雪解跡をついてB癲狂《てんきょう》院の門を潜った。



底本:「新青年傑作選(1)推理小説編」立風書房
   1974(昭和49)年12月30日新装第1刷発行
入力:南野輝
校正:ちはる
2001年7月16日公開
2003年6月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全8ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小栗 虫太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング