。結局、犯人は霙の降りやんだ二時頃にはすでに堂内にいて、兇行を終えてから、地上に踵《かかと》を触れず遁《のが》れ去ったと観察するほかにない。その際は鐘が鳴ったことは云うまでもないが、しかし、脱出の径路はすこぶる単純なんだよ。まず振綱に攀《よ》じ登ってから塔の窓に出て、そこで兇器を裏門の方へ投げ捨ててから、架空線《アンテナ》を伝わって円蓋《ドーム》を下り、そして、回転窓の下に引き込まれてある動力線に吊《つ》り下って、スルスル猿みたいに構外へ出てしまったのだ。ところで、何が僕にそう云う推定をさせたかと云うに、第一が動力線に霙の氷結がないことで、次が振綱に刺さっていた白薔薇だ。――あれは、ルキーンが拾ってそれでジナイーダの移香を偲《しの》んでいたものが、綱を登る際に何かの拍子で移ったのだよ。それからもう一つは、そう云う離業《はなれわざ》を演《や》って退《の》けられる膂力《りょりょく》と習練を備えた人物が、現在この事件の登場人物のうちにあるからだ。三丈もある綱を軽々と登れるばかりでなく、動力線を猿渡《さるわた》りする場合に、もし普通人程度の膂力と体重だとすれば、引込個所や電柱上の接合部分に、相当眼にとどまる程度の損傷が現われるだろう! おそらく一町以上の距離は容易に渡り切れぬだろうと思うね。そうなると、人並優れた腕力とそれに反比例する小児程度の体重[#「人並優れた腕力とそれに反比例する小児程度の体重」に傍点]――と云う至極難条件が、ルキーンによってやすやすと解決されるのだよ。しかも、綱に織物の繊維が残っていないと云うことが、かえって防水服で固めたルキーンを、逆説的に証明することになるだろう。」
 検事は呆《あき》れたように熊城を瞶《みつ》めていたが、
「そんなことなら、わざわざ君に聴くまでもないぜ。楽な解釈に有頂天になってしまって、君は鐘の機械装置を忘れてしまったのだ。」
 しかし、その時はまだ熊城の解釈以上に、鐘声の怪を実務的に説明するものがなかったのだ。
「マア、聴き給え。いま綱の振動で鐘が鳴ったと云ったけれども、それは、あの不可解な鳴り方をした時を指して云うのではない。それ以前にあったのだ。つまり、時刻はずれに鐘の鳴ったのが二度あったのだよ。その二度目の時が君達始め姉妹の耳に入ったので、最初脱出の時のは、おそらく聴えぬ程度の弱音だったに違いない。なぜなら、ルキーン程度
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