の間にか、聖職を捨ててしまって、聖器類を売払った金を資本《もとで》に、亡命人《エミグラント》達の血と膏《あぶら》を絞っているのです。そして、無論私達に対する態度も、昔の父ではございませんでした。」
「あり得ることです。」法水は重たげに頷《うなず》いた。「革命の衝撃《ショック》ですよ。大戦後の性格の激変で、それが因《もと》で起った悲劇は、かなりな数に上っていると云う話ですからね。で、その後は?」
「それから父は、過去《すぎさ》った日の栄光《はえ》を、真黒に汚れた爪で剥《は》ぎ※[#「※」は「てへん+毟」、第4水準2−78−12、138−下段14]《むし》って行きました。なかにも、わずかな金に眼が眩《くら》んだばかりに、ニコライ・ニコラエウィッチ大公のもとで例の『ジィノヴィェフの書翰《しょかん》』を偽造したぐらいですから。ですから、同志と不和を起して日本に渡った後も、やはり窮迫した人達を絞った金で、ここの堂守の株を買ったのでございます。サア、怨恨の心当りって!?[#「!?」は一文字、面区点番号1−8−78] そう云った日には、東京中の白露人全部が嫌疑者にならなくてはなりませんわ。あの貪欲と高い利息とでは、いくら勘忍強い神様でもお憎しみにならずにはいられないでしょう。ですから、現在の父を見て昔の高い感情を考えると、私にはどうしても、それが同じ人間だとは思われないのです。」
 そこで、法水の質問はいよいよ本題に転じて行った。
「ところで、鐘の音をお聴きになったでしょうな。」
「ところが、それ以前に気味の悪いできごとがございまして。四時半頃眼が醒めると、階段の壁燈が点《とも》っているのです。父は御存知の通りなので、ルキーンが戻ったかなとも思いましたが、来れば鳴子が鳴るはずです。しかし、大して気にも留めずにいたところが、間もなくこの室の扉の前辺から離れて、コトリコトリと遠ざかって行く跫音《あしおと》が、鐘楼に起りました。」
「それには、何か特徴がありましたか?」
「それが、通例の歩き方で二歩のところが一歩と云う具合で、非常に一足ごとの間が遠いのです。何か考えながら歩いているようでした。」
「すると、妙なことになりそうですね。」そう云って法水は黙考に沈んだ。が、やがて顔を上げた時には、顔色が死人さながらに蒼《あお》ざめていた。「確かあなたは、お父さんの亡霊が歩いていたと云われるの
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