しょうじ》徹三という若い男でした。ですから、現在では三つの屍体が、完全な死蝋に作られていて、それに、院長が繧繝《うんげん》彩色と呼んでいる、奇怪な粉飾が施されているのです。幹枝は膨《ふくら》んだ腹をそのままに作り、他の二人には冥界の獄卒が着る衣裳を纏わせて、いわゆる六道図絵の多面像を作り上げたのでした」
とそういってから、杏丸の眼にチカッと嗤《わら》うような光が現われた。
「所が、法規上屍体保存の許可と取引代価を、遺族の者に交渉することになりますと、偶然三人の代表が島へ渡って来ました。それが、一昨々日、つまり十一日の事だったのです」
「すると、まだ滞在しているのですね」
「そうです。ですから、この事件は簡単に3−2=1とはいえないのですよ。勿論交渉も易々《やすやす》とは運びませんでした。大体が、屍体の閲覧を拒絶した、院長の措置から発したのでしょうが、黒松の弟も東海林の父親も、代価に不服をいい出しましたし、殊に、幹枝の姉で鹿子といって、前身がU図書館員だという救世軍の女士官は、この手記を見ると、途方もない条件をいい出したのです。それが金銭ではなく、失楽園の一員に加えてくれというのだから、妙じゃありませんか」
「成程、失楽園の一員に……」
法水も怪訝そうに眉間を狭《ひそ》めると、
「多分、これを見たのでしょう」
といって、杏丸は最後のページを開いた。
その日付は手術の当日で、幹枝永眠す――と書いた次に、一枚の鋤《スペード》の女王《クイン》が貼り付けられ、その骨牌《かるた》の右肩に、「コスター初版聖書秘蔵場所」とまた、人物模様の上には「Morrand《モルランド》 足」と書かれてあった。
「モルランド足というのは、たしか八本指の、いわゆる過贅畸形だったね。だが、これは暗号なのかな」
法水が小首を傾けながら訊ねると、真積博士は頷いたが、その下から、
「だがコスター初版聖書とは?」と反問した。
「あったら大変だよ。それこそ歴史的な発見なのさ」
法水は頭から信じないように、
「世界最初の活字聖書は、一四五二年版のグーテンベルク本だが、それと同じ年に和蘭《オランダ》ハーレムの人コスターも、印刷器械を発明して、聖書の活字本を作ったという記録が残っているんだ。然し、この方は現在一冊も残っちゃいないけれども、グーテンベルク本は時価六十万ポンドといわれているんだぜ。だから、も
前へ
次へ
全16ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
小栗 虫太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング