、何時かな容易に洩れようとはしない。
「要するにこれは、犯罪を転嫁しようという行為なのですが、飛去来器といい花火といい、十分理学的に計算出来る性質のものですから、この犯行には相当の確実性があります。使った有毒気体は、屍体に青酸死の徴候がない所を見ると、多分砒化水素だったのでしょう」
「だが、瓦斯は散逸してしまうぜ」
 真積博士は、もう一度反駁した。
「所が一瞬に床へ下降させたものがあったのだ。それに、あの猛烈な濃霧《ガス》さえなければね」
 と法水は皮肉にいい返してから、
「所で、霧の中へ、温度の違う気流が流れると、霧が二つに分れる現象を御存知でしょうか。つまり、ヘルムホルツなどという、偉い学者の名を使わなくても、水蒸気の壁と温度の相違が、散逸を防ぐからなのです、ですから、昨夜の濃霧は、犯人にとると此の上もない好機だったのですが膜嚢が破れて飛び出した砒化水素は、炸裂に際して起る旋廻気流が上方にあったため、それに押されて、長い紐状となって下降して行きました。そして、その一端が、博士の鼻孔に触れたのです」
「すると、犯人は?」
「無論、河竹医学士です」
「では、その河竹を殺した者は?」
「所が、河竹は自殺したのです」
 法水は笑った。ああ、凡ゆる情況が転倒されてしまったのだ。
「河竹の捻《ひねく》れた性根は、自分の悲運を何人かにも負担させようとして、実に驚くべき技巧を案出しました。あの短剣は、横手にある実験用瓦斯の口栓から、発射されたのでした。まず河竹は短剣の柄《つか》を栓の口に嵌め込んでから、そこと元捻迄の鉛管に小さな孔を開けて、其の部分の空気を排気|※[#「くちへん」に「即」、221−上段2]筒《ポンプ》で抜いてしまったのです。そして元捻には蝶形の一方に糸を結び付け、片方の端を、鳩時計の小さい扉の中にある、螺旋に結び付けました。その螺旋は、一時間毎に弛んで、弛んだ時に小扉が開き鳩が動くのですが、勿論その仕事は、時間が来て小扉が開く、直前になされたと見なければなりません。すると、時刻が来て、鳩の出る扉が開くと、糸が押されてピインと張るので、蝶形を引いて瓦斯の栓を開きます。そして、真空の中に噴出する悽じい力が、口元の短剣を発射させたのでした。然し、計量器のねじ[*「ねじ」に傍点]が閉っているので、噴出した僅かな量は、瞬く間に散逸してしまいました。また、一方の糸は手許に引
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