糸を引き、その眼には明らかに、Oの素晴らしい行列を追うている、卑しい欲求が燃え熾《さか》っている。
「左様、コスター聖書もです。では、順序を追ってお話し致しますが、所で、私を分析にまで導いて呉れた鍵《キー》というのが、何あろう鹿子さん、実は貴女の眼だったのですよ」
と騒然となった一同を制して、法水は語り始めた。
「如何にも、あの目撃談は真実です。まさに、妖しい白光が起り、内部の膜嚢は動いたのでした。すると、無論その光の光源が、硝子盤の附近にあれば、事実あの室に人間が潜んでいたか、それとも、超自然の妖怪現象になるのですが、飽くまでも実在性を信じたい私は、その光源を、硝子盤の遙か後方に持って行ったのです。けれども、硝子盤の背後には死蝋が着ている、朱丹と緑青色の衣裳があって、それが障碍《しょうがい》になります。然し、この場合は却ってその障碍が、鹿子さんの眼にあり得ない不思議を映したのでした。鹿子さん、たしか貴方の眼は、軽微な赤緑色盲に罹っているのですね」
「それを、よくマア御存知で……」
と思わず鹿子は、驚嘆の声を発して、法水の顔を呆れたように見入った。
しかし、法水は事務的に続ける。
「ところで、生理学の術語にフューゲル彩色表という言葉がありますが、彩色した表面に灰色の文字《もじ》を書いて、その上を薄い布で覆うと、色盲には、その字が消えていて読めないのです。あの場合が恰度それに当て嵌っていました。つまり、一口でいうと、後方に起って硝子盤の中に入った光が、赤と緑の布を通過しているのですから、それを透した褐色の腹水は、鹿子さんの眼には灰色としか映《み》えません。従って、なかにある、同じ色の膜嚢は消えてしまったのです。しかもそれが燐寸の火で見た瞬後なのですから、恰度膜嚢が、浮動するような錯覚を起したのですよ。皆さん、こうして私は、硝子盤の後方に、光るものを証明することが出来たのですが、さてその光源が何処にあったかというと、それは幾つかの硝子窓を隔てた、兼常博士の室だったのです」
そして、法水が飛去来器《ブーメラング》と紙製の球体を取り出したのを見ると、杏丸は顔を伏せ、焦だたし気に爪を噛み始めた。
法水は続けて、
「実は、この二つのものが、博士の室の対岸にある、杏丸氏の実験室から発見されたのですが、投げた手許に再び戻って来る、飛去来器《ブーメラング》の性能を考えると、
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