緑青等の古代岩絵具の色調が、見事な色素定着法で現わされている、二人の冥界の獄卒が突っ立っていた。
 右はアディソン病患者の青銅鬼で、緑青色の単衣《ひとえ》を纏い、これはやや悲痛な相貌であるが、左手の赤衣を着た醜怪な結節癩は、その松果《まつかさ》形をした瘡蓋が、殆んど鉱物化していて鋳金としか思われず、それが山嶽のように重なり合って眼も口も塞ぎ、おまけに、その雲を突かんばかりの巨人が、金剛力士さながらに怒張した四肢を張って、口を引ん歪め、半ば虚空を睥睨《へいげい》しているのだ。
 そして、その二人に挟まって蹲《しゃが》んでいるのが、頭髪を中央から振り分けて、宝髻形《ほうきがた》に結んでいる、裸体の番匠幹枝だった。肋骨の肉が落ち窪み、四肢が透明な琥珀色に痩せ枯れた白痴の佳人は、直径二尺に余る太鼓腹を抱えて、今にもそれが、ぴくぴく脈打ち出しそうだった。
 然し法水は、それに一瞥を呉れたのみで、すぐ死蝋と窓との間にある、卓子《テーブル》の側に歩んで行った。
 幹枝の腹から出た腹水と、膜嚢を容れた大きな硝子盤が、その上に載っていて、褐色をした濁った液体の中に、二十余り鼈《すっぽん》の卵みたいに、ブヨブヨしたものが浮いていた。そして、異臭も腐敗した腹水から、発していることが判った。
 其処で、杏丸を顧みて法水がいった。
「この腐敗瓦斯には、硫化水素の匂いが強いじゃありませんか。硝子盤の下の布も、淡緑色に変色していますぜ。多分犯人は、これから純粋の瓦斯を採取して、それを膜嚢に充したもので、博士を殺した、とでもたしか思わせたかったのでしょう。けれども、生憎硫化水素は、患者の毒気といわれるほどで、到る処に痕跡を残して行くのです。それに、仮令《たとえ》純粋のものでも、昨夜のような、猛烈な濃霧に遇《あ》っちゃたまりませんよ。散逸する以前に、何より水蒸気が、吸収してしまいますからね。さてこれから、鹿子の目撃談を解剖しますかな」
 と、法水は窓際に立って、暫く中腰になり、硝子盤と睨めっこしていたが、やがて莞爾と微笑んで腰を伸ばした。杏丸医学士は、その様子を訝かしがって、法水と同じ動作を始めたが、この方は、単に不審を増すに過ぎなかった。
「僕には、貴方が得たり顔をした、理由が判りません。疑問はいよいよ深くなる一方じゃありませんか。破れた膜嚢がないのですから、第一浮動した説明が、付かないでしょう。
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