が、周囲の欝蒼たる樹木が、その全様を覆い隠していた。本島との間には刎橋があって、その操作は、院長と二人の助手以外には、秘密にされているとかいう話である。
中央の平地に上図通りの配列で並んでいるのが、失楽園の全部であって、四棟ともいずれも白塗りの木造平屋で、外観はありきたりの、病棟と少しも異なっていなかった。
法水はまず、周囲の足跡を調べ始めたが、昨夜の濃霧で湿っている、土の上にあるものは発見する際の杏丸のもののみで、結局それからは、何も得るところがなかった。
しかし、兼常博士の室に入り、窓越しに対岸の一棟を見ると、斜かいに見える杏丸の実験室がこれも窓が、開け放たれているのに気がついた。
兼常博士の室の窓は、廊下側の二つは単純な硝子窓で、それには掛金が下りているが、中庭側の三つが開け放されてあった。扉は廊下側の左端に、そして、その側の右隅には寝台があり、その上で兼常博士が、寝衣のまま四肢をややはだけ気味に、仰臥している。
年のころは五十四、五で、ブリアン型の髭さえなければ、余程|厳《いか》つい顔立であろうが、その半ば口を開いた死相を見ると、ただただ安らかな眠という外にない。
室内には位置の異なった調度類もなく、何処と云い、取り乱された形跡がないばかりか、指紋や犯跡を証明するものも皆無であった。屍体にも外傷は愚か、中毒死らしい徴候さえ、残されていないのである。尚絶命を証明する時刻は、小卓の上に投げた、右手の甲の下で、腕時計の硝子が割れていて、その指針が正二時を指しているだけでも、明らかだった。
「やはり、心臓痲痺ですかな」
屍体を弄《いじ》っている法水の背後から、杏丸が声をかけた。
「空気栓塞には、猛烈な苦悶が伴いますし、流涎《よだれ》や偏転の形跡もないのですから、脳溢血とも思われませんし……。それに、こんな開放された室内では、有毒|瓦斯《ガス》は用をなさんでしょう」
「そうです。そうあってくれると、実に助かるんですよ」
法水は何故か、反対の見解を匂わせたが、今度は屍体の周囲を調べ始めた。
鍵束は枕の下にそっくりしていて、杏丸の話では、各々の室ごとに鍵の形が異なっているそうであった。が、彼はすぐ寝台から離れて、附近の床上に眼を停めた。
その辺一体に、ひしゃげ乾《こわ》ばった膀胱みたいなものが、四つ五つ散乱しているのであるが、その一寸程の袋体のものは、
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