「何がです?」
「ああ算哲――と叫んだのです。と思うと、バタリとその場へ」
「なに、算哲ですって※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」と法水は、一度は蒼《あお》くなったけれども、「だが、その諷刺《ザチーレ》はあまりに劇的《ドラマチック》ですね。他《ほか》の六人の中から邪悪の存在を発見しようとして、かえって自分自身が倒されるなんて。とにかく|栄光の手《ハンド・オブ・グローリー》を、私の手でもう一度|点《とも》してみましょう。そうしたら、何が算哲博士を……」と彼の本領に返って冷たく云い放った。
「そうすれば、その六人の者が、犬のごとく己れの吐きたるものに帰り来る――とでもお考えなのですか」と鎮子はペテロの言《ことば》を藉《か》りて、痛烈に酬い返した。そして、
「でも、私が徒《いたず》らな神霊陶酔者でないということは、今に段々とお判りになりましょう。ところで、あの方はほどなく意識を回復なさいましたけれども、血の気の失せた顔に滝のような汗を流して――とうとうやって来た。ああ、今夜こそは――と絶望的に身悶えしながら、声を慄《ふる》わせて申されるのです。そして、私と易介を附添いにしてこの室に運んでくれと仰言《おっしゃ》いました。誰も勝手を知らない室でなければ――という、目前に迫った怖ろしいものを何とかして避けたい御心持が、私にはようく読み取ることが出来たのです。それが、かれこれ十時近くでしたろうが、はたしてその夜のうちに、あの方の恐怖が実現されたのでございます」
「しかし、何が算哲と叫ばせたものでしょうな」と法水は再び疑念を繰り返してから、「実は、夫人が断末魔にテレーズと書いたメモが、寝台の下に落ちていたのですよ。ですから、幻覚を起すような生理か、何か精神に異常らしいところでも……。時に、貴女はヴルフェンをお読みになったことがありますか」
 その時、鎮子の眼に不思議な輝きが現われて、
「さよう、五十歳変質説もこの際確かに一説でしょう。それに、外見では判らない癲癇《てんかん》発作がありますからね。けれども、あの時は冴え切ったほどに正確でございました」とキッパリ云い切ってから、「それから、あの方は十一時頃までお寝みになりましたが、お目醒めになると咽喉《のど》が乾くと仰言《おっしゃ》ったので、そのときあの果物皿を、易介が広間《サロン》から持ってまいったのです」と云って熊城の眼が急性
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