空気の中で、法水は凝然と眼《まなこ》を見据え、眼前の妖しい人型《ひとがた》を瞶《みつ》めはじめた――ああ、この死物《しぶつ》の人形が森閑とした夜半の廊下を。
 開閉器《スイッチ》の所在が判って、室内が明るくなった。テレーズの人形は身長《みのたけ》五尺五、六寸ばかりの蝋着せ人形で、格檣《トレリス》型の層襞《そうへき》を附けた青藍色のスカートに、これも同じ色の上衣《フロック》を附けていた。像面からうける感じは、愛くるしいと云うよりも、むしろ異端的な美しさだった。半月形をしたルーベンス眉や、唇の両端が釣り上ったいわゆる覆舟口《ふくしゅうこう》などと云うのは、元来淫らな形とされている。けれども、妙にこの像面では鼻の円みと調和していて、それが、蕩《とろ》け去るような処女の憧憬《しょうけい》を現わしていた。そして、精緻な輪廓に包まれ、捲毛の金髪を垂れているのが、トレヴィーユ荘の佳人テレーズ・シニヨレの精確な複製だったのである。光をうけた方の面は、今にも血管が透き通ってでも見えそうな、いかにも生々しい輝きであったが、巨人のような体躯《たいく》との不調和はどうであろうか。安定を保つために、肩から下が恐ろしく大きく作られていて、足蹠《あしひら》のごときは、普通人の約三倍もあろうと思われる広さだった。法水は考証気味な視線を休めずに、
「まるで騎士埴輪《ゴーレム》か鉄《くろがね》の処女としか思われんね、これがコペツキーの作品だと云うそうだが、さあプラーグと云うよりも、体躯の線は、バーデンバーデンのハンスヴルスト([#ここから割り注]独逸の操人形[#ここで割り注終わり])に近いね。この簡素な線には、他の人形には求められない無量の神秘がある。算哲博士が本格的な人形師に頼まないで、これを大きな操人形《マリオネット》に作ったのは、いかにもあの人らしい趣味だと思うよ」
「人形の観賞は、いずれゆっくりやってもらうことにしてだ」と熊城は苦々しげに顔を顰《しか》めたが、「それより法水君、鍵が内側から掛っているんだぜ」
「ウン驚くべきじゃないか。しかし、まさかに犯人の意志で、この人形が遠感的《テレパシック》に動いたという訳じゃあるまい」鍵穴に突き込まれている飾付の鍵を見て、検事は慄然《りつぜん》としたらしかったが、足許から始めて、床の足型を追いはじめた。跡方もなく入り乱れている、扉口から正面の窓際にかけて
前へ 次へ
全350ページ中30ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小栗 虫太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング