ヘレヴェズが登場して、それから、この事件は、急降的に破局《キャタストロフ》へ急ぐことだろうよ」
「解決――莫迦《ばか》を云い給え。僕はもう、辞表を出す気力さえなくなっているんだぜ。たぶん最初から、ト書に指定してあるんだろう。第二幕までは地上の場面で、三幕以後は神筮降霊《しんぜいこうれい》の世界だ――とでも」と熊城は銷沈《しょうちん》したように呟くのだった。「とにかく、後の仕事は、君が珍蔵する十六世紀前紀本《インキュナプラ》でも漁《あさ》ることだ。そして、僕等の墓碑文を作ることなんだよ」
「うん、その十六世紀前紀本《インキュナプラ》なんだがねえ。実は、それに似た空論が一つあるのだよ」と検事は沈痛な態度を失わず、詰《なじ》るような険《けわ》しさで法水を見て、「ねえ法水君、虹の下を枯草を積んだ馬車が通った。――そして、木靴を履いた娘が踊ったのだ、――すると、この事件には一人の人間もいなくなってしまったのだよ。僕にはどうしても、この牧歌的風景の意味が判らないのだ。だいたいその虹――と云うのは、いったいどういう現象の強喩法《カタクレエズ》なんだね」
「冗談じゃない。けっしてそれは文典でも――詩でもない。勿論、類推でも照応でもないのだよ。実際に真正の虹が、犯人とクリヴォフ夫人との間に現われたのだがね」と法水が、未だに夢想の去りきらない、熱っぽい瞳を向けたとき、扉《ドア》が静かに開かれた。そして、突然何の予告もなしに、久我鎮子の瘠せた棘々《とげとげ》しい顔が現われた。その瞬間、グイと息詰るようなものが迫ってきた。恐らくこの学識に富み、中性的な強烈な個性を持った神秘論者は、人間には犯人を求めようのなくなった異様な事件を、さらにいっそう暗澹《あんたん》たるものとするに相違ないのである。鎮子は軽く目礼を済ますと、いつものように冷淡な調子で云った。が、その内容はすこぶる激越なものだった。
「法水さん、私、まさかとは思いますわ。ですけど、貴方はあの渡り鳥のいうことを、無論そのままお信じになっているのじゃございますまいね」
「|渡り鳥《ワンダー・フォーゲル》※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」法水は奇異の眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》って、咄嗟《とっさ》に反問した。つい今し方、自分が虹の表象として吐いた言葉が、偶然かは知らぬが、鎮子によって繰り返されたからである。

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