が火のように熾《ほて》って、彼の眼前にある驚くべきもの以外の世界が、すうっとどこかへ飛び去って行くかのように思われた。
 見よ! そこに横たわっているダンネベルグ夫人の死体からは、聖《きよ》らかな栄光が燦然《さんぜん》と放たれているのだ。ちょうど光の霧に包まれたように、表面から一|寸《すん》ばかりの空間に、澄んだ青白い光が流れ、それが全身をしっくりと包んで、陰闇の中から朦朧《もうろう》と浮き出させている。その光には、冷たい清冽な敬虔な気品があって、また、それに暈《ぼっ》とした乳白《ミルク》色の濁りがあるところは、奥底知れない神性の啓示でもあろうか。醜い死面の陰影は、それがために端正な相に軟げられ、実に何とも云えない静穏なムードが、全身を覆うているのだ。その夢幻的な、荘厳なものの中からは、天使の吹く喇叭《らっぱ》の音が聴えてくるかもしれない。今にも、聖鐘の殷々《いんいん》たる響が轟きはじめ、その神々しい光が、今度は金線と化して放射されるのではないかと思われてくると、――ああ、ダンネベルグ夫人はその童貞を讃えられ、最後の恍惚《こうこつ》境において、聖女として迎えられたのであろうか――と、知らず知らず洩れ出てくる嘆声を、果てはどうすることも出来なくなってしまうのだった。しかし、同時にその光は、そこに立ち列《なら》んでいる、阿呆のような三つの顔も照していた。法水もようやく吾《われ》にかえって調査を始めたが、鎧窓を開くと、その光は薄らいでほとんど見えなかった。死体の全身はコチコチに硬直していて、すでに死後十時間は十分経過しているものと思われたが、さすが法水は動ぜずに、あくまで科学的批判を忘れなかった。彼は口腔内にも光があるのを確かめてから、死体を俯《うつ》向けて、背に現われている鮮紅色の屍斑を目がけ、グサリと小刀《ナイフ》の刃を入れた。そして、死体をやや斜めにすると、ドロリと重たげに流れ出した血液で、たちまち屍光に暈《ぼっ》と赤らんだ壁が作られ、それがまるで、割れた霧のように二つに隔てられてゆき、その隙間に、ノタリノタリと血が蜿《のた》くってゆく影が印《しる》されていった。検事も熊城も、とうていこの凄惨な光景を直視することは出来なかった。
「血液には光はない」と法水は死体から手を離すと、憮然《ぶぜん》として呟《つぶや》いた。「今のところでは、なんと云っても奇蹟と云うよりほかに
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