だち》の兜《かぶと》を頂いた緋縅錣《ひおどししころ》[#ルビの「ひおどししころ」は底本では「ひおどしころ」]の鎧に、何の奇異《ふしぎ》があるのであろうか。検事はなかば呆れ顔に反問した。
「兜が取り換えられているんだ」と法水は事務的な口調で、「向う側にあるのは全部|吊具足《つりぐそく》(宙吊りにしたもの)だが、二番目の鞣革《なめしがわ》胴の安鎧に載っているのは、錣《しころ》を見れば判るだろう。あれは、位置の高い若武者が冠る獅子噛台星前立脇細鍬《ししがみだいほしまえだてわきほそぐわ》という兜なんだ。また、こっちの方は、黒毛の鹿角立という猛悪なものが、優雅な緋縅《ひおどし》の上に載っている。ねえ支倉君、すべて不調和なものには、邪《よこし》まな意志が潜んでいるとか云うぜ」と云ってから召使《バトラー》にこの事を確かめると、さすがに驚嘆の色を泛《うか》べて、
「ハイ、さようでございます。昨夕までは仰言《おっしゃ》ったとおりでございましたが」と躊躇《ちゅうちょ》せずに答えた。
 それから、左右に幾つとなく並んでいる具足の間を通り抜けて、向うの廊下に出ると、そこは袋廊下の行き詰りになっていて、左は、本館の横手にある旋廻階段のテラスに出る扉。右へ数えて五つ目が現場の室《へや》だった。部厚な扉の両面には、古拙な野生的な構図で、耶蘇《イエス》が佝僂《せむし》を癒やしている聖画が浮彫になっていた。その一重の奥に、グレーテ・ダンネベルグが死体となって横たわっているのだった。
 扉が開くと、後向きになった二十三、四がらみの婦人を前に、捜査局長の熊城《くましろ》が苦りきって鉛筆の護謨《ゴム》を噛んでいた。二人の顔を見ると、遅着を咎《とが》めるように、眦《まなじり》を尖らせたが、
「法水君、仏様ならあの帷幕《とばり》の蔭だよ」といかにも無愛想に云い放って、その婦人に対する訊問も止めてしまった。しかし、法水の到着と同時に、早くも熊城が、自分の仕事を放棄してしまったのと云い、時折彼の表情の中に往来する、放心とでも云うような鈍い弛緩の影があるのを見ても、帷幕の蔭にある死体が、彼にどれほどの衝撃を与えたものか――さして想像に困難ではなかったのである。
 法水は、まずそこにいる婦人に注目を向けた。愛くるしい二重|顎《あご》のついた丸顔で、たいして美人と云うほどではないが、円《つぶ》らな瞳と青磁に透いて見える
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