激~ー朝歴代の埃及王《ファラオ》やオシリス・マアアト等の諸神、それにセバウ・ナアウの蛇鬼神《だきじん》までも両枠に彫り込んである――クテシビウス型を始めに、五世紀|柔然《アヴァール》族([#ここから割り注]西域の民族。六世紀の末突厥人のためにカウカサスに逐い込まる[#ここで割り注終わり])の椀形刻計儀に至るまでの、十数種があった。それから、ホーヘンシュタウフェン家の祖フレデリック・フォン・ビュレンの紋章が刻まれている、稀《めず》らしいディアボロ形の砂漏《さろう》などが注目されたけれども、油時計や火繩時計のように中世|西班牙《イスパニア》で跡を絶ったものには、ピヤリ・パシャ([#ここから割り注]一五七一年ヴェネチア共和国とレヴァントで海戦を演じたスルタンの婿[#ここで割り注終わり])からの戦獲品や、仏蘭西《フランス》旧教徒の首領ギーズ公アンリー([#ここから割り注]聖バーセルミュウ祭の当日新教徒を虐殺した人物[#ここで割り注終わり])から献上したもの等が眼に止った。なお、重錘初期以来のものは二十にあまるけれども、特に目立ったのは、巨大な海賊船《ヴァイキング・シップ》の横腹に、時計や七曜円を附けたもので、刻字文によると、マーチャント・アドヴェンチュアラーズ会社からウイリアム・シシル卿([#ここから割り注]エリザベス朝に入ってから、ハンザ商人に弾圧を加えた政治家[#ここで割り注終わり])に贈ったものであった。恐らくこれらは、古代時計の蒐集《しゅうしゅう》として、世界に類を求め得ないほどに冠絶したものに違いなかった。しかし、その中央で王座のように蟠《わだかま》って君臨しているのが、黄銅製の台座の柱身にはオスマン風の檣楼《しょうろう》、羽目《パネル》には海人獣が象嵌《ぞうがん》されていて、その上に、コートレイ式の塔形をなした人形時計が載せられている――一つがそれだった。それには、近世のもののような目盛盤がなく、塔上の円柵の中には鐘《チャペル》が一つあって、それを挾んで、和蘭《オランダ》ハーレム辺りの風俗をした、男女の童子人形が向き合っている。そして、一刻が来るたびに、それまで自動的に捲かれた弾条《ぜんまい》が弛《ゆる》み、同時に内部の廻転琴《オルゴール》が鳴り出して、その奏楽が終ると、今度は二人の童子人形が、交互に撞木《しゅもく》を振り上げては鐘《チャペル》を叩き、定められた
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