、その顔はセレナ夫人の方へ向けられていた。
「ところでセレナ夫人、その風来坊はいずれ詮議するとして、時にこういうゴットフリートを御存じですか。|吾れ直ちに悪魔と一つになるを誰が妨ぎ得べきや《ヴァス・ヒエルテ・ミッヒ・ダス・イヒス・ニヒト・ホイテ・トイフェル》――」
「ですけど、その短剣《ゼッヒ》……」と次句を云いかけると、セレナ夫人はたちまち混乱したようになってしまって、冒頭の音節から詩特有の旋律を失ってしまった、「その|短剣の刻印に吾が身は慄え戦きぬ《ゼッヒ・シュテムペル・シュレッケン・ゲエト・ドゥルヒ・マイン・ゲバイン》――が、どうして。ああ、また何故に、貴方はそんなことをお訊きになるのです?」としだいに亢奮《こうふん》していって、ワナワナ身を慄《ふる》わせながら叫ぶのだった。「ねえ、貴方がたは捜していらっしゃるのでしょう。ですけど、あの男がどうして判るもんですか。いいえ、けっしてけっして、判りっこございませんわ」
 法水は紙巻を口の中で弄《もてあそ》びながら、むしろ残忍に見える微笑を湛えて相手を眺めていたが、
「なにも僕は、貴女の潜在批判を求めていやしませんよ。あんな風精《ジルフェ》の黙劇《ダム・ショウ》なんざあ、どうでもいいのです。それよりこれを、いずこに住めりや、なんじ暗き音響《ひびきね》――なんですがね」とデーメールの「|沼の上《ユーベル・デン・ジュムフェン》」を引き出したが、相変らずセレナ夫人から視線を放そうとはしなかった。
「ああ、それではあの」とクリヴォフ夫人は、妙に臆したような云い方をして、「でも、よくマア、伸子さんが間違えて、朝の讃詠《アンセム》を二度繰り返したのを御存じですわね。実は、今朝あの方は一度、ダビデの詩篇九十一番のあの讃詠《アンセム》を弾いたのですが、昼の鎮魂楽《レキエム》の後には、火よ霰《あられ》よ雪よ霧よ――を弾くはずだったのです」
「いや、僕は礼拝堂の内部《なか》の事を云っているのですよ」と法水は冷酷に突き放した。「実は、この事を知りたいのです。あの時、|確かそこにあるは薔薇なり、その附近には鳥の声は絶えて響かず《ドッホ・ローゼン・ジンデス・ウォバイ・カイン・リード・メール・フレテット》――でしたからね」
「それでは、薔薇乳香《ローゼン・ヴァイラウフ》を焚《た》いた事ですか」レヴェズ氏も妙にギコちない調子で、探るように相手を見
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