《おのの》いている橡《とち》の樹林が現われ、その間に、二本の棺駐門の柱が見えた。そこまで来ると、頭上の格の中から、歯ぎしりのような鐘を吊した鐶《かん》の軋《きし》りが聞え、振動のない鐘を叩く錘舌《クラッパー》の音が、狂った鳥のような陰惨な叫声を発している。墓地はそこから始まっていて、小砂利道の突当りが、ディグスビイの設計した墓※[#「穴かんむり/石」、169−18]《ぼこう》だった。
 墓※[#「穴かんむり/石」、170−1]の周囲は、約翰《ヨハネ》と鷲、路加《ルカ》と有翼|犢《こうし》と云うような、十二師徒の鳥獣を冠彫《かしらぼり》にした鉄柵に囲まれ、その中央には、巨大な石棺としか思われない葬龕《カタファルコ》が横たわっていた。さて、ここで墓柵の内部を詳述しなければならない。だいたいにおいて、聖《サン》ガール寺院([#ここから割り注]瑞西(スイス)コンスタンス湖畔に六世紀頃愛蘭土(アイルランド)僧の建設したる寺院[#ここで割り注終わり])や、南ウエイルズのペンブローク寺《アベイ》などにも現に残存している、露地式|葬龕《カタファルコ》を模したものであったが、それには、いちじるしい異色が現われていた。と云うのは、墓地樹として、典型的な、ななかまど[#「ななかまど」に傍点]や枇杷《びわ》の類《たぐい》がなく、無花果《いちじく》・糸杉・胡桃《くるみ》・合歓樹《ねむのき》・桃葉珊瑚《あおき》・巴旦杏《はたんきょう》・水蝋木犀《いぼたのき》の七本が、別図のような位置で配置されていた。またそれ等の樹木に取り囲まれた中央の葬龕《カタファルコ》は、ウムブリヤの泣儒《なきおとこ》を浮彫《うきぼり》にした薬研石《やげんいし》の台座まではともかくとして、その上に載せられた白大理石の棺蓋《かんおおい》になると、はじめて異様な構想が現われてくるのだった。伝統的な儀習としては、その上が、紋章あるいは人像か単純な十字架が通例だが、それには、音楽を伝統とする降矢木の標章としての三角琴《プサルテリウム》が筋彫《すじぼり》にされ、その上に、鍛鉄製の希臘《ギリシャ》十字架と磔刑耶蘇《はりつけやそ》が載せられてあった。しかも、その耶蘇もまた異形《いぎょう》なもので、首をやや左に傾けて、両手の指を逆に反《そ》らせて上向きに捻《ねじ》り上げ、そろえた足尖《つまさき》を、さも苦痛を耐《こら》えているかのよう、内
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