伏せておくところを見ると、案外あの著述にも、僕が考えたような本質的な記述はないのかもしれない。とにかく、易介の殺害も、最初から計画表《スケジュール》の中に組まれてあったのだよ。どうして、あの死因に現われた矛盾が、偶然なもんか」
 法水は、彼がレッサーの著述を目した理由を明らかにしなかったけれども、ともかくそこに至るまでの彼等の進路が、腑甲斐《ふがい》ないことに、犯人の神経繊維の上を歩いていたものであることは確かだった。のみならず、ここで明らかに、犯人が手袋を投げたということも、また、想像を絶しているその超人性も、この一つで十分裏書されたと云えよう。やがて、旧《もと》の書庫に戻ると、法水は未整理庫の出来事をあからさまには云わず、鎮子に訊ねた。
「遂々《とうとう》、事件の波動がこの図書室にも及んできましたよ。最近この潜り戸を通った人物を御記憶でしょうか」
「マア、そんな事ですか。では、この一週間ほどのあいだダンネベルグ様ばかりと申し上げたら」と鎮子《しずこ》の答弁は、この場合|詐弁《さべん》としか思われなかったほどに意外なものだった。「あの方は何かお知りになりたいものがあったと見えて、この未整理庫の中を頻《しき》りと捜してお出でのようでございましたが」
「昨夜はどうなんです?」と熊城は、たまりかねたような声で云った。
「それが、生憎《あいにく》とダンネベルグ様のお附添で、図書室に鍵を下すのを迂闊《うっかり》してしまいました」と無雑作に答えて、それから鎮子は、法水に皮肉な微笑を送った。「つきましては貴方に、|賢者の石《シュタイン・デル・ヴァイゼン》をお贈りしたいと思うのですが、クニッパーの『生理的筆蹟学《フィジカル・グラフォロジイ》』ではいかがでございましょう?」
「いや、かえって欲しいのはマーローの『|ファウスト博士の悲史《トラジカル・ヒストリー・オヴ・ドクター・フォースタス》』なんですよ」と法水が挙げたその一冊の名は、呪文の本質を知らない相手の冷笑を弾き返すに十分だったが、なおそれ以外に、ロスコフの「|Volksbuch の研究《ディ・シュトゥディエ・フォン・フォルクスブッフ》」([#ここから割り注]ファウスト伝説の原本と称されている[#ここで割り注終わり])、バルトの「|ヒステリー性睡眠状態に就いて《ユーベルヒステリッシェ・シュラフツステンデ》」、ウッズの「|王家の
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