放電後の、真空といった空虚な感じで、再び黴《かび》臭い沈黙が漂いはじめ、樹林で啼《な》く鴉《からす》の声や、氷柱《つらら》が落ちる微かな音までも、聴き取れるほどの静けさだった。やがて、検事は頸《くび》の根を叩きながら、
「久我鎮子は実象のみを追い、君は抽象の世界に溺れている。だがしかしだ。前者は自然の理法を否定せんとし、後者はそれを法則的に、経験科学の範疇《カテゴリー》で律しようとしている――。法水君、この結論には、いったいどういう論法が必要なんだね。僕は鬼神学《デモノロジイ》だろうと思うんだが……」
「ところが支倉君、それが僕の夢想の華《はな》さ――あの黙示図に続いていて、未だ誰一人として見たことのない半葉がある――それなんだよ」と夢見るような言葉を、法水はほとんど無感動のうちに云った。「その内容が恐らく算哲の焚書を始めとして、この事件のあらゆる疑問に通じているだろうと思うのだ」
「なに、易介が見たという人影にもか」検事は驚いて叫んだ。
 と熊城も真剣に頷《うなず》いて、「ウン、あの女はけっして、嘘は吐かんよ。ただし問題は、その真相をどの程度の真実で、易介が伝えたかにあるんだ。だが、なんという不思議な女だろう」と露《あら》わに驚嘆の色を泛《うか》べて、「自分から好んで犯人の領域に近づきたがっているんだ」
「いや、被作虐者《マゾヒイスト》かもしれんよ」と法水は半身《はんみ》になって、暢気《のんき》そうに廻転椅子をギシギシ鳴らせていたが、「だいたい、呵責《かしゃく》と云うものには、得も云われぬ魅力があるそうじゃないか。その証拠にはセヴィゴラのナッケという尼僧だが、その女は宗教裁判の苛酷な審問の後で、転宗よりも、還俗《げんぞく》を望んだというのだからね」と云ってクルリと向きを変え、再び正視の姿勢に戻って云った。
「勿論久我鎮子は博識無比さ。しかし、あれは索引《インデックス》みたいな女なんだ。記憶の凝《かたま》りが将棋盤の格みたいに、正確な配列をしているにすぎない。そうだ、まさに正確無類だよ。だから、独創も発展性も糞もない。第一、ああいう文学に感覚を持てない女に、どうして、非凡な犯罪を計画するような空想力が生れよう」
「いったい、文学がこの殺人事件とどんな関係があるかね?」と検事が聴き咎《とが》めた。
「それが、あの|水精よ蜿くれ《ウンディヌス・ジッヒ ヴィンデン》――さ
前へ 次へ
全350ページ中54ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小栗 虫太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング