犯人の足跡を指摘して行った。
「確か十時半頃でしたか、誰が鎖を解いたものか、飼犬の啼き声が池の方でしますのでした。それで、捕えに行こうとして薬師堂の前を通ると、内部《なか》では方丈様が御祈祷中らしく、後向きに坐ってお出でになりました」
「なに、君もか」瞬間、思わず三人の視線が合ったけれども、久八は無関心に続けた。
「所が、その時可笑しなものを見ましてな。縁日の晩にしか使わない赤い筒提灯が両脇に吊してありまして、二つ共に灯が入って居りました」
「ホウ、赤い筒提灯が※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」と法水は衝動的に呟いたが、その下から、眼を挙げて先を促した。
「それから池の畔に行ったのですが、真暗なので犬を深す事が出来ません。それで致し方なく、口笛を鳴らしながら彼此《かれこれ》三十分近くも蹲んで居りますうちに、向う岸の雫石さんの裏手辺りに誰かいたと見えて、莨の吸殻を池の中へ投げ捨てたのが眼に入りましたので。その癖、寺では莨喫みが儂一人だけで御座いますが」
「では、帰りにも提灯が点いていたかね?」
「いいえ、提灯どころか、扉が閉っていて真暗でしたが」
 それで、関係者の訊問が終了した。久八が去ると、法水はグッタリとなって呟いた。
「成程、動機と云えるものがない。それに、斯う云うダダッ広くて人間の少ない家の中では、元来|不在証明《アリバイ》を求めようとするのが、無理な話なんだよ」
「けれども、君の云う、機構《メカニズム》の一部だけは、判ったじゃないか」と検事が云うと、法水は鳥渡凄味のある微笑を泛べた。
「所が、いま全体の陰画が判ったのだよ。胎龍の心理が、どう云う風に蝕ばまれ変化して行ったかと云う……」
「フム、と云うのは」
「それはこうなんだ。実は、先刻胎龍の室を捜して、僕は手記めいたものを発見したのだ。勿論他には注目するに足る記述はないけれども、夢を書き遺してくれたので、大変に助かったよ。――五月二十一日に、近頃幾晩となく、木の錠前に腰を掛けた夢を見るのはどうした事だろうとある。それから六月十九日に、自分の一つしかない右眼を刳り抜いて、天人像に欠けている左眼の中に入れた――とあるのだよ。所で、僕はフロイトじゃないが、早速この夢判断をする事にした。実にそれが、胎龍の歪められて行く心理を、正確に描写してあるのだ。で、まず最初に、三月頃胎龍に時々起った失神状態と云うのを説明し
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