寄せ、苦い後口を覚えたような顔になるのが常であった。その一団が、所謂《いわゆる》 Viles([#ここから割り注]碌でなしの意味――劇評家を罵る通語[#ここで割り注終わり])なのである。
 彼等は口を揃えて、一人憤然とこの劇団から去った、風間九十郎の節操を褒め讃《たた》えていた、そして、法水麟太郎《のりみずりんたろう》の作「ハムレットの寵妃《クルチザン》」を、「|悼ましき花嫁《ゼ・マウリング・ブランド》([#ここから割り注]チャールス二世の淫靡を代表すると云われるウィリアム・コングリーヴの戯曲[#ここで割り注終わり])」に比較して、如何にも彼らしい、ふざけるにも程がある戯詩《パロディ》だと罵るのであった。
 が、訝《お》かしい事には、誰一人として、主役を買って出た、彼の演技に触れるものはなかったのである。所が、次の話題に持ち出されたのは、いまの幕に、法水が不思議な台詞《せりふ》を口にした事であった。
 その第三幕第四場――王妃ガートルードの私室だけは、ほぼ沙翁の原作と同一であり、ハムレットは母の不貞を責め、やはり侍従長のポローニアスを、王と誤り垂幕越しに刺殺するのだった。その装置には、背面を黒い青味を帯びた羽目《パネル》が※[#「糸+尭」、224−上−10]っていて、額縁《プロセニアム》の中は、底知れない池のように蒼々としていた。そうした、如何にも物静かな、悲しい諦めの空気は、勿論申し分なしに王妃の性格を――|弱き者《フレイリー》よと嘲けられる、弱々しさを様式化してはいたが、俳優二人の峻烈な演技――わけても王妃に扮する、衣川暁子《きぬがわあきこ》の中性的な個性は、充分装置の抒情的な気息《いぶき》を、圧倒してしまうものであった。
 所が、その演技の進行中、法水は絶えず客席に眼を配り、何者か知りたい顔を、捜し出そうとするような、素振りを続けていた。そして、幕切れ近くなると、王妃との対話中いきなり正面を切って、
「僕は得手勝手な感覚で、貴方の一番貴重な、一番微妙なものを味い尽しましたよ。ですから、それを現実に経験しようとするのは、よそうじゃありませんか」と誰にとなく大声に叫んだのだった。
 勿論そのような言葉が、台本の中にあろう道理とてはない。或は、日々の悪評に逆上して、溜り切った欝憤を、舞台の上から劇評家達に浴せたのではないかとも考えられた。けれども、冷静そのもののよう
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