。何しろ殺されたポローニアスなんですからね。あの狭い中で、動けばこそですよ。それで、僕に斯んな愚痴話をしましたがね。――苦しいの何んのって、垂幕に向っては、碌々充分に呼吸《いき》さえつけないって」
「ええ、あの方は、私にいい加減な嘘を並べ立てました。だって、あの亡霊は、擬《まぎ》れもない父だったのですから」
 幡江の淑《しと》やかな頬に、血の気がのぼって、神経的な、きっぱりした確信を湛えた顔に変ってしまった。
 が、それを聴いた瞬間、検事と熊城は椅子を揺《ゆす》って笑いこけたが、法水だけは、この娘の幻に、不思議な信頼を置いているかの如くに見えた。
「それは斯うなんですの。ねえ法水さん。貴方だけは真面目にお聴き下さるでしょうね。いまの幕の間に、私は下手の舞台練習室に居りました。それは、入水([#ここから割り注]小川に落ちて溺れるオフェリヤ最後の場面[#ここで割り注終わり])の際の廻転に馴れるよう、実は稽古して居たからなんです。と云いますのは、身体《からだ》の調子のせいですかしら、どうも廻っているうちに、胸苦しくなって来るのです。それで、母も孔雀さんも、前々から、身体だけは馴らして置いた方がいい――と云うものですから、彼処《あすこ》の廻転椅子で、その稽古をする気になりました。所が、その椅子にかけて、緩く廻って居りますうちに、いきなり私の身体が慄《ぞっ》と凍り付いて、頭の頂辺《てっぺん》にまで、動悸がガンガンと鳴り響いて参りました」
「そうですか。しかし、貴女に休演されることは、この際何よりの打撃なんですからね。出来ることなら、少しくらいの無理は押し通して頂きたいんですよ。本当は、二、三日静養なさるといいのですがね。わけてもそう云う、幻覚を見るような状態の時には……」
 法水は、撫然と語尾を消したが、それが却って、幡江の熱気を掻き立てた。
「ああ、貴方も幻だと仰言るのね。ところが法水さん、その幻が――それが、どうしてどうして、幻とは思われないほど、鮮かな形で現われたのですわ。御存知の通り、あの室には入口が二つありまして、一つは舞台裏に、もう一つは舞台の下手に続いているのですが、その時舞台から、退場して来る亡霊と云うのが、なんと父では御座いませんでしたろうか。ねえ法水さん、あれは他の老役《ふけやく》とは違いまして、貴方の好みから、沙翁の顔を引き写したので御座いましょう。です
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