れた角度が大漏斗の斜面と、ちょうど直角をなしているのだ。だから、そのあいだへ直立している私は、てっきり、なかば傾きながら歩いているとしか思えない。まったく、錯覚とはいえ自然天地の法則が、ここではものの見事に覆えされている。
 これも、私がまったく痴愚《ばか》になったためか、いや、決してそうではないだろう。
 海面は、黒くたかく頭上にそびえ、風と飛沫と囂音で一分の休息もない。そのなかで、私たちはだんだんに退化して、いまに鳴き亀とおなじようになるだろう。
 ところが、きょう夜にかけて大颶風がやってきた。そのあと、朦気が吹き払われ清涼の気をおぼえると、今まで忘れていたこと、感じなかったこと、また、私が是非しなければならぬことが、まるで堰切った激流のように迸しってくる。私は寸時でも、脳力を恢復したことを悦ばねばならない。
 それは、私が痴愚《ばか》になったという第一の証拠だが、ハチロウのことをすっかり忘れていたのだ。私とナエーアが、この水面下の島で朽ちはててしまうのはよし。しかし、ハチロウをここで鳴き亀同様の存在にするということは、まったく何としても忍びないことなのだ。
 私は、今夜ハチロウを外海へ出そうというのだ。それには、渡り鳥である鰹鳥を利用する。さらに“Cohoba《コホバ》”をハチロウにもちいて泥々に酔わせて置く。そして、そのハチロウを入れた籠を鰹鳥にひかせる。おそらく、五羽の鰹鳥はその籠をひいて、底をかすかに水面に触れながら、まっしぐらに突っ切るだろう。
 愛は、ハチロウをきっと守るにちがいない。そして神も、私の天使ハチロウに倖いするだろう。
[#地から4字上げ]水面下の島にて
[#地から1字上げ]キューネ

         *

 私は、読みおわってからも亢奮がさめず、なんだか此処も、斜めに倒れながら歩いている感じがするという、「太平洋漏水孔《ダブックウ》」のその島のような気がした。折竹は、にたにた笑いながら私のからだを支え、
「オイ、しっかりしろ」
 と怒鳴った。私は、頭の靄がようやく霽れたように、
「そのハチロウという子は助かったわけだね。で、今は?」
「あいつかね。あいつは、時々いま重慶へ飛んでゆくよ。そして、爆薬のはいったおそろしいウンコを置いてゆく。まったく、ニューギニアといい『太平洋漏水孔《ダブックウ》』といい、よく方々へウンコを置いてゆく奴さ」
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