ると大悦びだったが、そんなことを聴くと、キューネは鼻の奥がじいんと滲みるような思い、自分はドイツ、ナエーアはサモアへ……。いずれも帰心矢のごとしと云いながら、帰れない身だ。よくよく、おなじ運命のものがめぐり合わせたもんだと、ますますこんなことから結ばれてゆく三人。
 独木舟《プラウー》、いま南東貿易風圏内にある。この|雨桁附き独木舟《アウト・リッガード・カヌー》にはひじょうな耐波性があって、むかしは、ハワイ、タヒチ島間六千キロを、定時にこの扁舟が突破していたといわれる。
「なんだか、赤道《ピコ・オウ・ワケヤ》に近いようですわね」
 とビスマルク諸島の北端を出てから三日目の午、ナエーアが、しばらく手をかざしながら水平線を見ていたが、そういった。
「どうして、分るね」
「ホラ、蒼黒い筋が水平線にあるでしょう。あれが、凪がちかい証拠だというんです。じきに、|北の星《ホコ・パア》が見えるかもしれませんわ」
 それまでキューネは、ただ羅針盤《カンバス》だけでこの舟を進めていた。いま針路は真東にゆき、エリス諸島辺へむかっている。それだのに、赤道ちかいとは何事であろう。事によったら、皇后《カイゼリン》アフガスタ川の叢林中につないで置いたあいだ、なにか羅針盤《カンバス》が狂うような原因があったのではないか。そこで、念のため軽便天測具《カラバッシュ》を持ちだして、その夜、星を測ってみたのだ。なるほど、セントウルスの二つの輝星の位置がちがう。
 かれは、軽便天測具を置くとナエーアの手をにぎった。はじめて土人娘のカンの正しさを知ったのだ。
「私たちが、もしこの舟のうえに一生いるようになったら……」
 ナエーアがある夜キューネにこんなことを云いだした。星影をちりばめたまっ暗な水、頭上の三角帆《ラティーン・モイル》は、はち切れんばかりに風をはらんでいる。
「そうだねえ。僕らは、こんなようじゃ当分海上にいるだろうからね」
 事実この三人は、見る島、ゆく島の人たちによって残酷に追われていた。キューネのだれにも分るドイツ訛りと、戦争が終ったか終ったかと聴くような怪しい男には、どの島民も胡乱《うろん》の眼をむけずにはいない。銃を擬せられて、逃げだすときの情なさ。まったく、この三人はかなしい漂泊を続けていたのだ。
 しかし、この扁舟のなかの二人の男女には、たがいに木石でない以上、何事かなければならない
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