った。留守中、大戦が勃発しこの独領ニューギニアは、いま濠洲艦隊司令官の支配下にあるのが、わかった。ことに、その布告の終りの数行をみたとき、彼はわれを忘れてかっと逆上したのである。

[#ここから2字下げ]
 ――濠洲軍は、なんじ等に善政を約束する。思えば、永年苛酷なるドイツ植民政策に虐げられた汝らは、ドイツ軍守備隊長フオン・エッセンに対しても、われ等と協力し復讐をわすれなかった。彼らが、家族、敗兵らとともに密林中に逃げこんだとき、汝らはわが言にしたがい間諜をだし、たくみに彼らを導いて殱滅させたではないか。
 但し、隊長夫妻ならびにその一子、以下白人戦死体の首の拾得は禁ずる。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から1字上げ]フインシャハ守備陸戦隊長ベレスフォード

 キューネは、眼がくらくらして倒れそうになった。ことに、彼と仲よしだった隊長の、子ウイリーの死を思うとかっと燃えあがる憤怒。鬼畜、頑是ない五歳の子まで殺さんでもいいだろう。おそらくそれは、平素恨みを抱く土人の仕業だろうが、なにより嗾かけたのはベレスフォードではないか。
 と、わずか四月の間にかわった世の中となり、いまは身を寄せるところもない今浦島となったキューネは……それから先々もかんがえず怖ろしさも感ぜずに、ただフラフラと放心したように歩みはじめた。
(殺すぞ。鬼のようなベレスフォードのやつ、からならず殺《や》ってしまうぞ)
 いま、キューネの胸のなかには、それだけの事しかない。すると、月のない夜がもっけの倖いとなり、ふらふら彷徨《さまよ》ううちに隊長官舎のそばへ出た。巨きな、腕ほどもある胡瓜の蔭に、ちらっと灯がみえる。窓はあけ放され、部屋のなかが見える。壁には、子供がかぶるピエロの帽子。卓には、オモチャの喇叭《ラッパ》や模型の海賊船《ヴァイキング・シップ》。
(ようし)彼はぐびっと唾をのんだ。
 眼には眼、歯には歯だ。ベレスフォードに、男の子がいるとは……天運とはこのこと。と、ただ復讐一図に後先もかんがえず、やがて、ちいさな寝台から抱えあげたその子を、毛布にくるんでそっと持ちだしたのである。まもなく、夜風をはらんだ独木舟《プラウー》の三角帆が深夜のフインシャハを放れ矢のようにすべり出た。


    密林逃亡者《ブッシュ・レンジャー》

 しかし、キューネは、くらい海上にでるとさすがに亢奮も醒めた。いま、
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