を鈎にかければ、人間が水のなかへ引き込まれて竜宮行となることは請合いだ。
わが、琵琶湖にも昔は頗る大物がいたそうである。この大物は、夜になると岡へ出てきて猫を捕らえて食ったという。
中国の鯰は、頭は水中に置き、尻尾を岡へ出して置く。そこへ野鼠がやってきて、結構なご馳走であるとばかりその尻尾へ噛みつくと、その途端に鯰は尾に跳躍を起こして鼠を水中に引っ張り込み、一口にあんぐりと鼠を頂戴するという。
下
鯰は妖怪変化の術を心得ていて、大入道に化けた話は、そちこちにある。中国の鯰は孔子さまを脅《おど》かしに行った。捜神記[#「捜神記」は底本では「挿神記」]という化け物のことばかり書いた古い中国の本に、孔子さまがある夜一人で室に引き籠っていると、一人の異様な風体の男が訪ねてきた。見ると身の丈九尺に余る大男で高い冠をかむっている。そして「孔子、貴公なにしちょるか」といって、大声であたりへどなりまわした。そこへ、孔子の弟子の子路がやってきて、師の身辺を脅かすとは怪しからん奴、とばかりその大男を庭へ引き摺りだし、組打ちをはじめ、とうとう子路が勝って大地へ組み伏せ、高手小手に縛りあげてみたところ、こはそもいかにこれ大鰓魚也とあった。つまり、大鯰であったのである。
鯰の化け方の道化ているところは、陸の狸公に似ているではないか。
日本の鯰は、鼻下に二本髭を蓄えているだけであるけれど、北満洲の齋々哈爾《ちちはる》の北を流れる嫩江には、三本髭の鯰がいる。一本は顎の下に長く生えているのである。三本ひげを蓄えた顔は、中国の大人《たいじん》の風貌《ふうぼう》によく似ている。そして、顔の造作からだの格好に至るまで、日本の鯰に寸分違わぬのであるけれど、実はこれは鯰ではないのである。鱈であるのだ。太古、海中であった北満地方が地殻の変動で岡になったとき、海水と共に外洋へ逃げるのを忘れた鱈は、ついに山の渓流に取り遺されて、北満の淡水に陸封されることになったのである。顔や、からだが同じでも、鱈はやはり鱈で、北海道や樺太の海でとれる鱈と同じに、北満の鱈も鯰に化けたとはいえ、三本髭のまま、先祖の昔を偲んでいる。
この鯰鱈は、蒲鉾に作ると素敵においしい。私も一昨年、齋々哈爾へ旅したときこの蒲鉾をご馳走になったが、最初はなにを材料にしたものか知れぬほど、舌鼓をうったのである。日本でも、昔から鯰を蒲
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