一月二日であるから、城が出来あがると間もなく、僅か一年ばかりで廃藩となったわけである。
 大きな城が九十九年も少しの手入れもすることなく、棄て置かれては、荒れに荒れて昼なお暗い叢林や身丈を隠す草原ができて、相馬の古御所を彷彿させるに充分であったのであろう。
 そんな次第で、荒れた城内は狸と狐と雉子の巣となって、これが競って厩橋市中へ化けて出た。廃藩置県になってからは、城の裏側の利根の急流に臨んだ崖の上へは、県営の牢屋ができて、そこは明治初年に白銀屋文七が、遊人度胸を揮ったところであるが、その付近一帯が、また薄気味悪い場所となったのである。
 あたり一面、葭《よし》と葦《あし》が生えて足の踏み入れようもない。そこへ、どこから来たか大蛇が移り住んだ。私の父は少年の頃、村の友だちと共に、その近くへ草刈りに行ったが、まことに恐ろしい場所であったと、私に語ったのを記憶している。
 父の友人の一人は、その牢屋の近くで、大蛇に出逢い、毒っ気を吹きかけられ、家へはせ帰ったけれど、毒が全身にまわり、ついに死んでしまったという話だ。

  七

 厩橋城は、松平家が留守にした幕末の九十九年間に、はじめて狸
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