に志して、かつてわが生まれた故郷へ旅するのである。
 利根川は、佐波郡の芝根村地先で、烏川を合わせる。その烏川が、鮭の故郷であるのだ。銚子口から、[#「、」は底本では「,」]遙々と利根川を遡ってきた鮭の親は、九月中旬には烏川に達する。そして、産卵の準備に取りかかる。鮭の親は、淡水へ入れば、殆ど餌を食わない。
 利根本流は、あまりに水温が低いためであろうか、底石が大き過ぎるためであろうか、鮭は武州本庄裏まで遡りつくと、左へ曲がって烏川の水を慕う。烏川へ入ると、深さ一、二尺位の玉石底に堀を掘って産卵するのであるが、岩鼻村地先まで達した鮭は、そこでさらに左へ曲がり鏑川の水を慕う。
 そんなわけで、鮭の産卵場は多野郡の多胡の碑地先から山名村や森新田地先の鏑川に最も多いのである。産卵の季節は、十月半ばから十一月が盛んである。
 初冬の候、卵から艀った鮭の子は、生まれたあたりで越年して、温かい春の水を迎えるのであるが、四月上旬になると、長さ一寸五分ほどに育つ。
 桜の花が咲き初めるころ、南の暖かい風が吹いて、一雨訪れると鮭の子は、その薄濁りの水に乗って、親が育った北洋の寒い鹹水へ遠く旅するため、生まれた烏川や鏑川に別れを告げるのである。そして、鏑川の鮭の子は烏川へ、烏川から利根川へ出て、次第々々に海へ向かって行くのだ。
 その頃が、鮭の子を釣る絶好の季節である。四月上旬まだ多野郡新町のお菊稲荷の社のあたりで釣れるのは、一寸か一寸五分のほんの可愛い魚であるけれど、もう利根と烏の合流点あたりまで下ったのは、二寸ほどに育ち、さらに利根本流を武州妻沼橋あたりまで下ったのは三、四寸に育って背の肉が丸々と肥えてくる。
 鮭の親の鱗の肌には、美しい鱒科の魚特有の紫紺斑点が消え失せているが、鮭の子の肌には青銀色の鱗に微かに小判形の斑点がうかびでて、鮮麗の彩、まことにかがやかしい。
 一、二寸に育った鮭の子は、軽い味に人の舌を訪《おとな》う。かき揚げの天ぷらが、甚だ結構だ。妻沼橋あたりで釣れる三、四寸に育ったものは、塩焼きがよい。塩蒸しもよい。牛酪で焼いて冷羹《れいこう》をかけて洋箸で切れば、味聖も讃辞を惜しまぬであろう。
 数年前までは、岩鼻村地先で烏川に合流する井野川へも鮭の親が遡り込んで産卵したのであったが、ちかごろはどうしたものか、井野川では鮭の子の姿を見ない。井野川の水質が、変わったの
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