想い出しても、父は釣りが上手《じょうず》であったと思う。二間一尺の小鮎竿を片手に、肩から拳《こぶし》まで一直線に伸ばして、すいすいと水面から抜き上げる錘《おもり》に絡んで、一度に二尾も三尾も若鮎が釣れてくる。そのたびに、幼い私は歓声をあげて、網|魚籠《びく》の口を開けては、父の傍らへ駆け寄った。
 私は、父より先にお腹が減った。包みから握り飯を出して頬張ったのを顧みて、父は、
『はじめたね』
 と、言って竿の手を休めた。そして、竿を石の上へ倒しておいて、私と並んで小石の上へ胡座《あぐら》したのである。
 五月の真昼は、何とすがすがしい柔らかい風が吹くことであろう。小石原から立つ陽炎《かげろう》がゆらゆらと揺れる。砂原の杉菜《すぎな》の葉末に宿《やど》った露に、日光が光った。
 眼の前の、激流と淵の瀬脇で、ドブンと日本|鱒《ます》が躍り上がった。一貫目以上もある大物らしい。
 日本鱒も、川千鳥と同じように、若鮎が河口へ向かうのと一緒に、遠い太平洋の親潮の方から、淡水を求めて遡ってくるのである。
 夷鮫《えびすざめ》が、鰹《かつお》の群れと共に太平洋を旅して回るのは、鰹を餌食とするためであるが、日本鱒も若鮎を餌にしながら大河を遡る。だから、利根川筋では、昔から若鮎を餌に使って日本鱒を釣っていた。
『お父さんが、お弁当を食べる間、お前が釣ってごらん』
 私は、父がこう言ってくれる言葉を、朝から待っていたのであった。
 軽いとはいっても、子供には力負けのするような父の竿を握って、私は錘《おもり》を瀬脇へ放り込んだ。父のするように、竿先を少しずつ次第に水面近くへあげてくると、ゴツンと当たりがあった。びっくりするような強引な当たりである。
 はじめて釣り竿を持った幼い私に、余裕も手加減もあろうはずがない。当たりと一緒に、激しく竿先を抜きあげると、大きな魚が宙に躍った。私は、夢中になって魚を丘へ振り落としたのである。そして、石の間を跳ね回る魚を双手で押さえつけた。
 それは、若鮎ではなかった。腹に一杯卵を持った紅色鮮やかなはや[#「はや」に傍点]であった。子供の私の眼に一尺以上もある大物に見えたのである。鼓動が鳴った。手がふるえた。
 父は、ただ手を拱《こまね》いて顔も崩れそうに笑っていた。そして、
『逃がすな、逃がすな』と、声援して『よくもまア、こんな細い糸であがったものだ』、
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