さし込み、長い道糸を瀬の落ち込みへ流してやると、道糸が張った途端に、もう凄い引き込みだ。
 竿先が、折れるのではあるまいかと思うくらいの強引だ。私は竿を引き抜くと、それを後ろ向きに肩に担《かつ》いで、河原へ向かって駆け上がった。そして、河原の小石の上を二十間ばかり走ったところが、鱸は頭を横に振り鰓洗いをやる暇もなく、そのまま河原へ引き摺り上げられてしまった。父は、直ぐ鱸のそばへ走って行って、上から茣蓙《ござ》をかけて押さえつけた。
 それは、一貫三百五十匁の大鱸であった。それから入れ食いの連続だ。夕方、手もとが見えなくなるまで五、六百匁から一貫目前後の鱸を十五、六本釣ったのである。付近の農家から、太い竹の棒を一本貰ってきて、それに吊るし、二人で水戸まで担《かつ》いで帰ったのである。
 こんな鱸の大漁は、はじめてだ。その後、東京湾口の落ち鱸釣りに、それ以上の数を釣ったことはあるが、落ち鱸は食味が劣っているから、盛期の川鱸釣りの興趣に比べれば、まるで問題にならない。私の父は、若いときから鮎釣りにたんのうで、随分大漁したことがあったそうだ。しかし、大ものをこんなに釣ったのは、生まれてはじめてだと言って、相好を崩して喜んだ。親の、喜んだ顔を想いだすのは、まことに楽しいものである。
 最近きいた話であるが、かつて幸田露伴翁も那珂川で鱸の大釣りをやったことがあるそうだ。場所は、水戸市下市の汽船発着場の下手らしいが、小舟の胴の間一杯釣ったらしい。それは、もう二、三十年前の話であろう。そのころは、ずいぶん那珂川に鱸がいたものと見える。露伴翁は、餌に袋イソメとイトメを用いたと言う。
 那珂川では、いまでも国田渡船場の上下から、上流の阿波山村地元まで、川蝦の餌で盛んに釣れているのである。



底本:「垢石釣り随筆」つり人ノベルズ、つり人社
   1992(平成4)年9月10日第1刷発行
底本の親本:「釣随筆」市民文庫、河出書房
   1951(昭和26)年8月発行
初出:「釣趣戯書」三省堂
   1942(昭和17)年発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2007年5月5日作成
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