と伜の三人である。まず、東海道の金谷駅で支線に乗り替え、家山町を志した。大井川の中流で友釣りを試みるつもりであったのだ。
 ところが、大井川の上流地方、つまり赤石山脈の南面に連日大雷雨が続いたため山崩れが起こり、川は灰白色に濁って釣りの条件がよろしくない。それでも、せっかくここまで訪ねてきたのであるからというので、三人は流れへ竿をかつぎだした。しかし、予想したとおり釣れぬ。三人合わせて僅かに十二、三尾を釣ったのみで、二時間ばかり遊んだ末、宿へ引きあげた。
 鈴木氏が旅の慰めに、上等のウイスキーを一本携えて行った。夕食のとき、二人で差し向かいにその栓を抜くと、そのとき宿の若い亭主が訪ねてきて四方山《よもやま》ばなしをはじめ、あまりお世辞のよい男なのに、一杯さすと彼はこのウイスキーの質を賞めながら盛んにのむ。
 私らは、亭主の口前に釣り込まれて、また一杯また一杯とさしてやると、気がついたときには、四合瓶の大部分を彼にのまれてしまっているのである。彼は私らの室を上機嫌になって辞し去るとき、後刻上等の日本酒を届けると約束したが、待てども待てども彼は約束を実行しなかった。
 翌朝、金谷駅へ引き返し、そこで鈴木氏は別れて東京へ帰った。私と伜の二人は、京都へ向かった。賀茂川の上流の、放流鮎を釣ってみたいと思ったからである。上賀茂にある姪夫妻の家へ足をとどめ、そこから一里半ばかり上流の賀茂川の峡を探ったが、その年は放流鮎僅かに二万尾、既に釣り尽くしたあとで、土地の若い者が一人。小さい瀬の落ち込みで、引っ掛けの立て引きをやっているのを見たばかりである。
 その男が、こうしてやっていれば、釣り残りが一尾や二尾掛かってくるかも知れないと思って、今朝から三時間辛抱していたけれど、今もって一尾も当たりを見ない。多分この川へ放流した全部の鮎が鈎に掛かってしまったのであろうというのである。そして、その男は私と共に河原の石に腰をおろして一服つけながら、数日前吉野の五条から熊野街道を南へ下《くだ》り本宮の近くまで下って、十津川で釣ったところ、素晴らしく数多く釣れた。友釣りではなく、毛鈎の沈み釣りを試みたのであるが、形が甚だ大きかったという。
 姪の家へ二、三日滞在したのち、私らは暑い日の午後、京都を立って神戸へ着いた。四国の土佐に釣友である探偵小説家の森下雨村を訪ねることにしたのである。神戸から夜の
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